なお火のかたまりとなって2千メートル余りも暴滑走した墜落事故を思い起こすとき
町田市の青山市長が記録集に残した言葉

もし、町田市の商店街に墜落した米軍ジェット機が
「なお火のかたまりとなって2千メートル余りも暴滑走した墜落事故を思い起こすとき戦慄を覚える」---
当時の町田市の青山市長が記録集に残した言葉です。
(序にかえて)

「昭和39年(1964年)4月5日、町田市の商店街に米軍ジェット機が墜落した。突発的瞬間惨事は死者4名、重軽傷者32名、家屋の全半壊27戸の被害をもたらした。
 事件の地点より直感的に、被害(火災を含む)の拡大することを憂えたが、関係者懸命の救助、防御活動により類焼を未然に防止でき得たことは幸いであった。
 その後、同年9月8日隣接大和市において山林の樹木をなぎ倒し、鉄工所を粉砕し、死傷者を出し、なお火のかたまりとなって2千メートル余りも暴滑走した墜落事故を思い起こすとき戦慄を覚える。
 この墜落と同じ状況であったら、死傷者の数も計り知れず、火災も数百戸、いや町の大半が焼失したことでありましょう。

 この種の事件としてはあまりにも大きく、かつ、国際的影響もあり、ジョンソン米大統領の異例のメッセージのあったことでも計り知れることである。
 
 首都圏整備法に基づく指定地として、年々1万余りの人口増をみ、いまや12万余り、数年ならずして20万の中都市になろうと驚異的な発展をなしつつある平和な市の歴史に、悲しむべきページを残すこととなった。 
 科学の進展いちじるしい今日、今後、「思いがけない災害が、思いがけないときに、思いがけないところに起こってくる。」
 不足の災害に対し、常に待つある態勢を確立し、市民の生命財産の擁護と、人心安定に努めなければならないことを痛感せざるを得ない。

 この災害に対し、各方面から寄せられた激励と援助、特に消防隊をはじめ、自衛隊、関係機関、市民のご協力は絶大なものであった。ここにあらためてお礼を申し上げる次第である。

 この記録は、当時実際に活躍された機関の資料をもととして、できるだけ忠実にまとめたつもりであるが、混乱のさなかでは記録もれ、あるいは、紙面の都合上意のつくせぬ点もあることと思う。何分のご了承をいただきたい。

 犠牲になった4人の方のご冥福と被害者の方々の今後のご多幸をお祈りするばかりである。


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