究極の特攻兵器“伏龍”に散った14歳のいのち

2009/10/14 (Wed) 11:01:37

究極の特攻兵器“伏龍”に散った14歳のいのち

町田の年金者組合の2010年9月号に掲載されたものを執筆者の了解を得て転載いたしました。

究極の特攻兵器“伏龍”に
散った14歳のいのち

この事実を私が知ったのは、10年余り前のこと、戦後長く青年運動・平和運動を共にしてきた、同志岩田一郎君(仮名)が残した遺品の中にあった記録による。彼は私よりも3歳年下で、終戦を迎えたのは14歳だった。その彼が「伏龍特攻隊」の隊員であったことを知ったのはショックだった。

「伏龍」それは、大戦末期、米軍の本土上陸作戦必至と見た軍部が、これを水際で迎え撃つべく編み出した「究極の特攻兵器」だった。

「伏龍」の存在については、当時は勿論、戦後も長く厳重な極秘下に置かれたために、その詳細については、未だに全貌を発掘完了し得ない状況にあり、熱心な関係者の努力にも拘らず、世間一般には殆ど知られていないのではないかと思われるので、すでに明らかにされた資料を基に、先ず、その概略の解説を試みたい。

特攻兵器「伏龍」とは

「神風特別攻撃隊」については、知る人も多いかと思う。「神風」に始まった「特攻戦術」=「自爆攻撃」が、敗色濃い日本軍の戦法の主力になるに、日月は要しなかった。米軍の本土進攻必至の情勢下で、すでに大半の航空機も軍艦も失い、戦力として残されたのは「一億玉砕」以外になかった。

水際作戦用に編み出された特攻兵器には、いくつかの種類があった。

人間魚雷「回天」=魚雷を操縦して敵艦に体当たりする=をはじめとして、「震洋」=ベニヤ板製のモーターボート、「海龍」「蚊龍」=小型潜水艇、いずれも爆雷を搭載して自爆する。これらに並び「伏龍」が「究極の特攻兵器」と言われるのは、生身の人間が爆雷を抱えて敵艦に自爆攻撃を加えるという、ひたすら玉砕を目的にした戦法だったということ。そして、その任に当たった兵士が、軍務適齢に達しない14歳―16歳の少年達であったということによる。

1−2ヶ月の短期間に慌しく開発された「簡易潜水器」を身にまとい、敵上陸用舟艇の侵攻が予想される海中に潜んで待機し、敵舟艇が頭上を通過する瞬間に、手に持った棒の先につけた爆雷を、その船底に突き上げて撃沈するというもの。勿論、肉体は一片も残らず千々に砕け散る。

昭和20年(1945年)5月、横須賀、呉、佐世保、舞鶴の各鎮守府に計10個大隊(2―3千名)が配置され猛訓練を開始した。

当時、通常の潜水服は、海上の母船から長いホースで圧搾空気を補給する方式で、母船から離れて行動することは出来なかった。

「伏龍」は、敵に発見されないよう単独で行動しなければならないので、母船の援助は受けられない。吸気用の酸素ボンベと共に、排気用として、炭酸ガスを吸収させる苛性ソーダの缶を背負う。海底に沈下して定位置まで歩くのに、9kgの鉛錘を腹につけ、片足1kgの鉛の靴を履く。隊員相互に50mづつ離れた待機地点で、ほぼ5mの深度に伏せて敵舟艇を待つことになるが、ボンベの酸素容量は5時間が限度。いざ敵襲となり、攻撃すべき敵艦の船底に達するまで浮上するには、酸素ボンベの弁を開いたり閉じたりして調節する。その余地もなければならない。

これすべて初めての試みであるから、米軍上陸を10月と想定していたにしても、短期間で必要な訓練を完成させるのは土台無茶と言わねばならない。

幸いというべきか、米軍上陸・本土決戦に突入する前に終戦となり、実戦による犠牲者は生じなかったが、それに至る前に、未熟な機材と無謀な訓練で、横須賀だけで、毎日のように2−3名の溺死者が出たという。すべて極秘裡に行われたことで、犠牲者の死体は密かに焼却され記録もない。犠牲者の氏名・総数は不明のままだ。前記の岩田君が書き残したところによれば、隊員の半数に近い1千余名が犠牲になったのではないかという。

海軍特別年少兵

私が特記したいのは、「伏龍特攻隊員」の大多数が、14歳から16歳までの少年兵だったこと。これ以前にも15歳からの志願による「海軍飛行予科練習生(予科練)」があり特攻機の主力となっていたが、大戦末期、対象を14歳に引下げて補充を図り、更に航空機の殆どを失って訓練中止となった「予科練生」の大部分を「伏龍特攻隊」に振り向けた。その概数は3000名。

「若き血潮の予科練の七つボタンは櫻に碇」その格好良さは、当時の男の子の憧れだった。それが「大空」どころか「海中」で惨めに命を落とすことになった。ひたすら親兄弟と祖国を守るために一命を捧げることを誇りとした、純な少年たちであった。知力体力ともに優れた選ばれた少年たちだった。その命を無駄に散らした悔しさは、筆舌に表し得ない。

太平洋戦争全期を通じて動員された少年兵の総数は40万名を超え、その大部分が戦局が悪化した以降、特攻要員として動員されたこと、今の中学生の年代の人たちに、史実として知って欲しいと思う。せめてもの供養に。

65年目の終戦の日に 長崎真人

[参考]
✩猪熊得郎さんの証言記録/太平洋戦争の傷跡 次世代への橋渡し
http://ameblo.jp/tashutayou/entry-10495447062.html
✩人間機雷「伏龍」特攻隊  瀬口晴義 講談社
✩海軍伏龍特攻隊  門奈鷹一郎 光人社NF文庫







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