この駆逐艦は何のために伴航していたのだ 軍隊は民間人を守らない、もう一つの例 昭和18年2月8日の暗夜、(ハワイ奇襲のおとり船となった)龍田丸は、 御蔵島東方海上で米潜水艦の魚雷を受けて沈没した。 船長以下198人の乗組員、乗船者1283人が全員死亡という悲劇の最期を遂げている。 このとき護衛していた駆逐艦「出雲」による海上捜索は 「翌朝まで行われなかった。 いかに荒天とはいえ、漂流者への配慮があれば何人かは救助されていたに違いない。」 「この駆逐艦は何のために伴航していたのだ、龍田丸のこの無念を想い、駆逐艦出雲の行動には、 はかり知れぬ痛恨を感ずる」 と「豪華客船の航跡」の著者・二口一雄は怒りを露にしている。」 秋田博著「海の昭和史」より重引。 この「有吉義弥がみた海運日本」によると、 日本海軍は、太平洋戦争開戦当初、 「輸送船団を守る軍艦など一隻もなかった。 翌昭和17年4月まで、日本船は船団も組まず、戦場海域を丸腰で独航していたのである。」 という。 おとり船が、ハワイ奇襲に使われた(141名の引揚げ外国人を乗せていたそうだ)ものだけでなく、民間船舶全体だった。。。 シーレーン防衛などと言っても、人命軽視は貫徹していた。。。 軍隊は民間人を守らない、もう一つの例だろう。 | ||
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