町田に落ちたアメリカの軍用機

町田に落ちたアメリカの軍用機

町田の上空はアメリカ軍機の通り道

 

1.「ぼくね 本当はいま生きていなかった

はずなんだよ」

私の受け持ちクラスのK君(5年生)からこの話を聞いたときは本当にぞっとしました。

「久しぶりにコロッケにしようかね」と、お母さんにたのまれてK君は家を出ました。

ところが財布を忘れていたことに気づいて家に引き返したのです。K君がコロッケを買いに行くはずだったお肉屋さんに、そのときジェット機が落ちたのです。家に引き返さなかったらK君の命はなくなっていたでしょう。

 

2.原町田に

              アメリカのジェット機が墜落

 1964年(昭和39年)4月5日、日曜日のことです。原町田2丁目商店街はぽかぽか陽気に誘われて午後の買い物客でにぎわっていました。

 ものすごい音がしてアメリカ軍のジェット機が落ちてきました。ジェット機の名前はF・8Uクルセーダーという戦闘機でした。アメリカ軍機は訓練のため沖縄の嘉手納基地を離陸して厚木基地におりるために町田市の上空をまわっていました。そして2200メートルの上空からものすごい勢いで落ちてきたのです。

 被害者は死者4名、重軽傷者32名、壊れた家は27戸。吉田肉店では洗濯物をたたんでいた奥さんと、ベビーベッドで寝ていた賢一君が即死。揚げ物をしていた店員2名も大やけどで3年間も入院しました。

 中川洋装店では、テレビを見ていた74才のきくさんが即死。店員の横井さんは1年も入院する重症を負いました。ちょうど自転車で通りかかったために倒れてきた家の下敷きになってなくなった不運な人も一人いるのです。そばを歩いていた中学生も大けがをしています。

 でも、繁華街にジェット機が落ちたのに、これでも被害が少なかった方なのです。積んでいた燃料が残り少なくなっていたこと、垂直に近い角度で地面につきささったこと、これらが被害を少なくしたのです。

 パイロットのR.L.ボーン大尉はパラシュートで2キロほど離れた高ヶ坂団地のあき地に無事降り、すぐかけつけたアメリカ軍ヘリコプターに助けられました。

 その日、私は都心に出かけていて町田に帰ったのは夕方でした。駅からバス停に行こうとしたら街のようすがなんだか変なのです。まわりがざわついています。

 救急車や消防車の音もします。アメリカ軍のジェット機が原町田2丁目に落ちたことを周りの誰かから教えてもらって、すぐそちらに向かいました。今のトポスの前あたりにロープがはってあり、そこから先には入れませんでした。そこの路上に商店街の街灯の破片が散らばっていました。

 事故が起こって30分後、カービン銃をもった12人の米兵がやってきて、ロープをはって立ち入り禁止にしたのだそうです。次の日から始まった後片付けでは、地下20メートルにめり込んだジェット機のエンジンはとうとう掘り出せなくて、今もそこの土にうまったままです。

事故の起こった場所は、町田駅から中央商店街を南に歩き、トポスを過ぎた先の十字路の右手前駐車場部分です。左にまがれば成瀬街道、右にまがれば町田天満宮踏み切りになっていた十字路です。

 普通の人たちがいつもと変わらない平和な暮らしをしているところに、突然アメリカ軍機が落ちてきて、死者が何人も出るというようなことが2度と起こらないようにと、誰もが思いました。抗議のデモが町田でも行われました。当時の町田ではめずらしいことでした。

「町田と戦争――平和教育資料集」町田戦後50年プロジェクト編集

発行-−都教組町田支部 1996年3月10日 より引用しました。



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