一味違う厚木基地ガイド
厚木基地って、いつまであるの?

町田革新墾「憲法連続講座」2007年8月1日
(報告)町田平和委員会 

「本土防衛」と総力戦体制

 ●1938年に着工、1942年に完成 1945年8月末に接収、「東京占領の拠点」に。
ーーーだから、日本の基地だったのはわずか3年のみ。

 ●連合軍の「敵国日本」への第一歩と、「反乱」部隊の将兵の子息

太平洋戦争末期は海軍の東京防空拠点となり、米軍の空襲ごとに戦闘機が飛び立ち迎撃に向った。この戦闘機隊は第三〇二海軍航空隊(略称302空)と呼ばれ、人員・装備とも枯渇しきった大戦末期の海軍航空兵力の中にあって数少ない精鋭部隊の一つだった。
1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾し降伏を決定すると、米軍は東京占領の拠点として厚木飛行場に白羽の矢を立てた。これに対して302空司令の小園安名大佐は玉音放送の後も降伏を受け入れず徹底抗戦を主張し、若い隊員たちも数日にわたって戦闘機からビラ撒きをするなど、厚木飛行場の部隊には混乱がみられた。
だが、米内光政海相や高松宮宣仁親王などの説得により、302空の暴走も数日のうちに沈静化し、8月28日には米軍の大規模な部隊が到着して飛行場の接収を行った。

部隊が岩国にいけば解決?

●「再編」は「同盟の強化」 
●住民、自治体は返還を要求 
●ムチで岩国市を恐喝
● うるさいものは、どこでもうるさい
厚木基地の374棟の建物を岩国に新築し、米軍家族住宅を整備する費用は1000億円以上

「思いやり予算」って?

 ●積もりつもった額が5兆円(〇6年度まで総額五兆二百六十九億円)
1979年度の開始以来2000年度までに、厚木基地911件(1014億円)2004−(11億円)
 ●「騒音対策」で1兆円?(厚木だけですでに5000億円。2007年度は2,150世帯42.9億円。)その他、嘉手納、三沢、岩国、


 ●「再編」で3兆円

「思いやり」予算には、厚木基地から硫黄島で実施する夜間離着陸訓練(NLP)の費用も。 飛行経費(1.7億円)。FA18一機の往復経費に一時間あたり51万円!同機の訓練だけで年間七千万円(十六機×三回)も計上。

 このほか、同島で使う電気代(743万円)、廃油の処理費(124万円)、給食費(2394万円)、電話代(62万円)まで負担している。 給食費--訓練一回あたり四千食(一食あたり最大2157円)を支払う。
艦載機って何をするの?

 ●日本防衛?じゃなさそう。

@Operation Iraqi Freedomに参加中、キティーホークの航空軍は11,800時間飛行し、5,375回出撃、86万ポンド(390トン)の爆薬を消費した。

A1991年9月6日に、東京の日本記者クラブの講演で米下院外交委員会アジア・太平洋問題小委員会のソラーズ委員長は「実際には在日米軍の大半は地域的任務を担っている。日本以外の地域への侵略を抑止している米軍を、日本が進んでその領土に駐留させ、他のどの同盟国よりも多額の駐留経費を負担してくれていることにアメリカは感謝すべき」だ、と述べた。

B「沖縄の海兵隊は、日本防衛に当てられておらず、第7艦隊の即戦海兵隊として、第7艦隊の通常作戦区域である西太平洋、インド洋のいかなる場所にも配備される」---ワインバーガー国防長官(82年当時)の米上院歳出委員会での証言。

C「われわれは、自らの利益のためにそこに駐留しているのである。慈善ではない」
(1991年下院予算委員会でのチェイニー国防長官(当時)の発言)

キティーホークの日本周辺配備(日数)は全体のわずか1割

 ●米空母キティーホークが、1998年8月1の横須賀配備から、2006年12月の横須賀到着までの8年と121日(=3041日)の間に、
出港後、日本周辺地域に配備された日数はのべ306日で、全体のわずか10%程度だ。
(東シナ海, 日本海, 朝鮮近辺と関連した西太平洋を、日本周辺地域として計算した。
休暇や修理を目的とした横須賀軍港への停泊期間、および着艦資格訓練のための期日などは、計算に入れていない。資料は米海軍太平洋軍のホームページから)

4次訴訟  自治体ぐるみの抗議の声を町田でも

○防音工事はいいことでも効果は部分的です。騒音の「抜本的解決」こそ必要で、可能です。

@横須賀は、アメリカ本土以外に「世界でたった1ヶ所」の空母の母港です。
A08年の母港化は、「世界でたった一つの」被爆国日本への原子力空母の母港化です。
B首都圏3000万人に、放射能汚染の被害を及ぼす可能性があります。横須賀港では、基地の汚染で「背が曲がった魚」が見つかり、また、横須賀市民が浚渫工事許可取り消しを訴えています。(別紙)
C当初「3年」のはずの母港の約束から、もう30年以上経っています。

Re: 一味違う厚木基地ガイド - 町田のたぬちゃん

2007/08/11(Sat) 07:53

(参考資料)
米空母キティー・ホークの事故

1961年に海軍に納入されたキティー・ホークは、それから37年間に少なくとも10件の事故を起こしている。平均3年半に1件の事故となる。
「米空母キティー・ホーク」(原書房1998年刊)の巻末年表より

●1965(11月末にトンキン湾入り)
12月7日 南シナ海をクルーズ中、機関室で爆発事故、2名が死亡、28名が負傷
●1973 12月11日 フィリピン沖で機関室から火災発生、6名が死亡
●1981 9月6日 インド洋で着艦したVA-22のA-7Eがタキシング中のF-14Aと衝突、1名が死亡、2名が負傷
●1983 1月19日 ワシントン州沖でカナダ国防軍駆逐艦HMCSユーコンと衝突
● 11月12日 カリフォルニア州オークランド沖でUSSウォバッシュ(AOR-5)と接触
●1984 3月21日 米韓合同演習”チーム・スピリッツ‘84“に参加中、日本海でソ連海軍のヴィクター・クラス潜水艦と衝突
● 1994 7月11日 房総半島沖で着艦中のVF-51のF-14Aがフライトデッキに衝突して墜落し、乗員2名はパラシュートで脱出、パイロットは火傷を負い、D・J少佐はパラシュートがF-14Aの尾翼に接触して両足を負傷。飛行中の艦載機は、深夜にNFA厚木に飛来した。
●同 7月18日 佐世保からUSSフリントに向かっていたランチが漁船”ふじ丸“と接触、乗員9名中水兵7名が負傷、キティー・ホークで治療を受けた。
●同 11月28日 沖縄沖でVFA-97のFA/18-Cが発艦直後に墜落、パイロットはパラシュートで脱出したが火傷を負った。
●1996 2月24日 VAQ-135(NL)のEA-6Bが着艦資格訓練中に墜落、パイロットのT・R・フランシス大尉、ECMOのJ・M・ディー少佐が死亡、大尉2名が負傷
(以上、年表は1998年8月11日のキティー・ホーク横須賀母港化まで)

「うるさい」が来たら、すぐ抗議を 電・話・機・の・そ・ば・に・ど・う・ぞ

米軍厚木基地(渉外部)  0467-78-2664
町田市役所042-722-3111 夜間・休日724-2105 
アメリカ大使館 FAX: (03) 3505-1862
防衛施設庁東京防衛施設局 048-600-1804 防音工事については/同事業部 
施設対策第三課 048-600-1821・1822・1838(フリーダイヤルは0120-048-610)
日米問題については外務省北米局03-3580-3311   
                         (町田平和委員会作成2007/4)

(参考資料)
日本では拡大<米軍基地>東京二十三区の約一・六倍の面積
ヨーロッパで十五年前、駐留していた米軍はおよそ31万、今日だいたい11.7万で、三分の一ぐらいに減っています。日本は逆に増え続けて、面積では1980年の二倍、同じ人数。  2004年10月22日「赤旗」--参院予算委(共産党市田書記局長の総括質問)

日本、韓国、ドイツ各国が負担している米軍駐留経費、それぞれいくらですか。(市田)

 北米局長 米国防総省によりますと、日本の支援額が四十六億ドル(約四千九百九十億円)、韓国が八億ドル(約九百二十億円)、ドイツが八億六千万ドル(約九百三十億円)---二〇〇三年。(同上)


(在日米海軍厚木航空施設/フリー百科事典『ウィキペディア』より

United States Naval Air Facility Atsugi,Japan)
神奈川県綾瀬市と大和市にまたがる飛行場で、在日米海軍と海上自衛隊が共同で使用している軍事基地。県内で唯一、ジェット機が離着陸できる飛行場。
米海軍は空母キティホーク艦載機の本拠地として使用しており、海上自衛隊は対潜哨戒機や救難ヘリコプターの基地として使用している。
滑走路 2,438m×46m

周辺では離着陸する飛行機の墜落事故が多数発生しており、うち重大なもの:

1964年4月5日、町田市中心街にF-8戦闘機が墜落、住民4人死亡。(町田米軍機墜落事故)
同年9月8日、大和市の鉄工所にF-8戦闘機が墜落、住民と従業員5人死亡。
1977年9月27日、横浜市緑区(現青葉区)荏田町の住宅街にRF-4Bファントム偵察機が墜落、幼児2人が死亡、母親も闘病4年後に死亡、その他多数が重軽傷を負う(横浜米軍機墜落事件)。
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