にやにや笑いながら阻止

1964年の町田の米軍機墜落現場の非常線で、当時の町田市長が阻止され、
「I am Machida city captain!」
と言ってやっとなかに入ったが、

同年の大和の墜落では

「自分の工場にジェット機が墜落したことを外出先で知らされた舘野氏が、工場に戻って現場に足を踏み入れようとしたときも、状況の理解できていない米軍兵士によってにやにや笑いながら阻止されてしまった。」という。

「米軍は直ちに被害現場へロープを張り、立ち入り禁止にした。

「銃をかまえた米軍の憲兵が鉄工所の周りを囲んで、現場へ入ろうとする消防署員や警察官さえ規制したのである。

「石井正雄大和市長が、日本人関係者が現場へ入れるよう、わざわざスタンレー厚木基地司令官と交渉しなければならない状況であったという。」以上、引用

「過密の中の軍事基地」(1994)で元大和市議会議長の石川公弘氏が書いておられる。



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