社民党の谷沢議員の厚木基地問題に関する質問

2009/10/14 (Wed) 11:01:37

町田市議会の2009年の3月定例会で、社民党の谷沢議員が厚木基地問題で質問され、そのなかで市が発行した墜落事件のパンフレットを紹介しています。
以下、引用します。

資料は、「米軍機墜落事故災害誌」という町田市が発行した小冊子、初版が昭和40年11月、つまり事故の起こった次の年、オリンピックの次の年ですが、これは復刻版でして、平成14年3月、企画部企画調整課が発行いたしました。当時青山市長さんでした。第1章「被害概況」、第1節「被害の概要」、こう書いてあります。

 町田市の中心部繁華街の真只中に、昭和39年――1964年、東京オリンピックの年ですね――4月5日午後4時28分頃、米軍航空機が墜落し大惨事が発生した。

 国鉄横浜線原町田駅から――当時は原町田駅と申しておりましたが――約300メートル、小田急線新原町田駅から約1キロメートル離れた原町田1274番地に、この日午後、沖縄の嘉手納航空基地を飛び立ったアメリカ海兵隊岩国基地所属チャンスボートF8U−2「クルーセイダー」ジェット戦闘機(乗員R・L・ボーン海軍大尉)が定期訓練飛行のため厚木基地(厚木基地まで約10キロメートル、基地滑走路と一直線上)に向かう途中、故障を起こし、高度6,000フィートの上空よりきりもみ状態にて墜落、言語に絶する惨状を引き起こした。

 4月5日は日曜日、桜の花もようやくちらほら、朝からおだやかな日和で、家族連れや団体客で各地の行楽地はその年最高の人出であった。

 町田市の繁華街も近隣近郊から集った子供連れの買物客で混雑していた。午後4時28分頃上空を飛んでいたジェット機が「キーン………………」という耳をつんざく音とともに突然「ズシーン」という大地をも裂けるような地ひびきをたてて商店街の一角に墜落した。

 ものすごい衝撃が原町田2丁目商店街一帯をゆるがせ、一瞬のうちに民家4棟が吹きとび、土砂や機体の破片も半径50メートル四方にわたって襲いかかり、20数軒の家屋を全半壊した。

 ジェット機墜落とともにとび散った航空機の燃料に引火、付近の家屋に延焼し、黒煙は天に沖しものすごく、逃げまどう買物客、倒壊した建物の下から救いを求める負傷者の悲鳴と叫び、付近一帯は阿修羅と化し大混乱となった。

 町田消防署、町田市消防団、町田警察署、隣接相模原市消防本部の各隊は市民協力のもとに救助即防御の態勢で火勢をおさえての救出作業は困難をきわめたが、焼死寸前にあった生存者4人の救出、消火に成功した。誠に官民一体の努力のたまものであり命の尊さを目のあたりにみせた。

 中略。夜になって救出作業を照らす投光器がすさまじい墜落模様をあらためて冷たく写し出す中から4人の遺体が発見され、人々の沈黙は悲しみの声となり、やがて怒りとなり全市に広がり全国に伝わっていった。

 平和に暮らしていた市民にとって、この事故は文字どおり空から突如降ってわいた出来事、火を吐く巨大な金属のかたまり、それは一瞬にして、死者4名、重軽傷者32名という惨事を引き起こした。
 ジェット機のボーン大尉は高度6,000フィートの上空で落下傘により脱出、現場から1.4キロメートル離れた団地――これは高ケ坂団地でありますが――に降下し、かすり傷を負っただけで米軍基地の病院に収容された。

 恐怖と混乱の一夜開けた朝の現場には吹っとんだ洋裁店と精肉店、民家が直径10数メートル、深さ5メートル位のすりばち型の大穴と変わり、むごたらしい事故現場は照りつける太陽のもとにさらけ出されていた。

と記されています。ほかにも、この災害誌には幾つかの資料が載っかっておりますが、こういうものを発行しておりまして紹介をさせていただきました。

 つけ加えますと、この町田市での事故から半年もたたない同年9月8日に厚木基地を離陸直後のF−8Cクルセイダー戦闘機がエンジン故障のため滑走路北側約1キロメートルの大和市上草柳に墜落、同所の鉄工所に激突して爆発炎上し、工場関係者ら5名死亡、3名負傷、家屋全壊4棟、一部損壊6棟の大惨事となる事故を引き起こしております。

 さらに、昭和52年9月27日には、FR−4Bファントム偵察機が厚木基地から相模湾沖の空母ミッドウェーに寄航中、エンジン火災を起こし、横浜市緑区――現青葉区でありますが、荏田町に墜落、3歳と1歳の幼い命を奪い、重軽傷者7名、家屋全焼2棟、損壊3棟の被害を及ぼす事故を引き起こしています。
この事故で瀕死の重火傷を負った母親も、その後の4年4カ月に及ぶ闘病生活の末に、2人の幼児の後を追って亡くなられました。このことについては、石阪市長さんも当時、新進気鋭の横浜市の職員でしたので、覚えていらっしゃるかと思います。

 さらに最近では、昨年の12月8日、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴの住宅街に米海兵隊FA−18D、現在横須賀に停泊中の原子力空母ジョージ・ワシントンの艦載機と同機種であります、いわゆるスーパーフォーネットでありますが、この戦闘攻撃機が墜落、子どもを含む住民4名が死亡するという事故を引き起こしております。

 このように基地周辺住民は、常にジェット機の墜落事故と隣り合わせであり、安全で安心な生活生活が保障されていないのが実情であります。


 最後に、「米軍機墜落事故災害誌」の最後の「むすび」のところに、当時の青山市長さんが書かれたんでしょうか、編集後記ということで書かれてあります。これを最後に読ませていただきます。

「むすび
 航空機の近代化に伴い、万一事故が発生した場合、大事故または政治問題となりやすく、ことに駐留軍基地をめぐる国民感情は、思想的、政治的に各種の問題を含んでおり、世論がこの種の事故に深い関心を寄せていることは、国会および各報道機関においてことあるごとに採り上げている事実からも明らかなところであり、昭和39年4月5日町田市に起こった米軍ジェット機墜落事故に際しても、この例にもれず、ジョンソン米大統領の異例のメッセージを始め各界から多くのメッセージが寄せられ、国会でもまた問題になった。

 町田市における事故に続いて、隣接大和市、同相模原市にも相次ぎ起きており、全国各地でも同様である。
 この種の事故防止のため万全の方策は確立でき得ないものだろうか。
 過去に起こったいくたの事故の経験や、今度の事故の原因究明が徹底的になされなければならないであろうが、先ずは人命尊重の精神を徹底させることであろう。

 日本の航空法第75条の、機長は、その航空機に急迫の危難が生じた場合には、旅客の救助及び地上または水上の人または物件に対する危難の防止に必要な手段をつくした後でなければ機を去ってはならない、という旨の内容をもつ条項を空文にさせないことだ。

 もちろん超音速のジェット機などでは我々常人の思惑外の事態など恐らく日常茶飯事であり、事故防止を単に搭乗員の心がまえのみに頼るわけにはいかないであろう。

 それでは予期せぬ事故で被害を最小限にくいとめ、少なくとも今度のような大惨事に至らないようにするにはどうすればよいのだろうか。

 考えられる方策の一つに、最も有効かつ重要なものは、「飛行機が密集した市街地の上空を飛ばないよう」にすることだ。

と結ばれているんですね。私は、このことをぜひとも心にとめながら、これからもこの厚木基地の騒音問題、あるいは墜落事故の危険性について訴えかけていきたいということを申し上げて、一般質問を終わります。






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