キティーホークの事故

1960年の進水以来、米空母キティホークは数々の事故を起こしている。
「米空母キティホーク」 豊島実編 原書房 1998によると:
@ 1965年12月7日
南シナ海をクルーズ中、機関室で爆発事故、2名が死亡、28名が負傷
A 1973年12月11日
フィリピン沖で機関室から火災が発生、6名が死亡
B 1981年9月6日
インド洋で着艦したVA―22のA−72Eがタキシング中のF−14Aと衝突、1名が死亡、2名が負傷した。
C1984年3月21日(以下参照)
潜水艦衝突事例
http://ns.adic.rise.waseda.ac.jp/adic/enter/sokuho/sensui.htm
14925 1984 3 21 (水) : 日本海 ソ連のビクターI級原潜が米韓演習中の米空母キティーホークと衝突.米空母の船底燃料タンク破損

24787 1984 3 0 ( ) : 対馬海峡南端 米空母「キティーホーク」とソ連原潜「ビクターI級」衝突(=14925)[][][]

C 1994年7月11日
房総半島沖で着艦中のVF−51のF−14Aの(=ママ)フライト・デッキに激突して墜落し、乗員2名はパラシュートで脱出し、パイロットは火傷を負い、RIOのデビッド・ジェニングス少佐はパラシュートがF−14Aの尾翼に接触して両足を負傷。このため、飛行中の艦載機が深夜にNAF厚木にダイバートした。

D 同11月18日
沖縄の沖でVFA−97のF/A−18Cが発艦直後に墜落、パイロットはパラシュートで脱出したが火傷を負った。
E 1996年2月24日
VAQ−135(NL)のEA−6Bが着艦資格訓練中に墜落、パイロットのトーマス・R・フランシス大尉、ECMOのチャールズ・M・ディー少佐が死亡、ECMOのチャールズ・E・ルットレル大尉、デリック・J・ビューズ大尉が負傷。
(以上、年表の記載は1998年8月まで)

表面化しただけでこれだけの事故が起きており、
こうした事故を防止し、その能力を維持する為、騒音という爆音が続いている。

ましてや、キティー・ホークの次は原子力推進艦となる。あと3年後から。。






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1月2日














町田平和委員会

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