8ヶ月間、12以上探したが

2009/10/14 (Wed) 11:01:37

「過去8ヶ月間、12以上の(水戸射爆場移転の)候補地(新島など)を探したが」(中曽根防衛庁長官)
見つからず、
1973(昭和48)年 3月に、水戸対地射爆場が米軍から日本政府に正式返還された。
()内は引用者

厚木の艦載機部隊の恒常的訓練用地について、臨時だという硫黄島の代替基地を選択・確保する仕事が今年7月という目標をすぎ、その直後なるべく早く、という段階に突入した。(ロードマップ)
三宅島をふくめ、候補地をいくつか検討した、という発表があるが、
水戸射爆場について類似したことがあった。

長尾秀美『日本要塞化のシナリオ』(酣燈社) 2004 にある。
p.57以下
中曽根防衛庁長官が1970(昭和45)年5月19日の日米安保協議委員会で披露した国防政策の一部として
水戸射爆場にふれ、

「この施設の移転問題は、長期間懸案になっていて、移転条件の緩和が前回の委員会でも議論された。
日本政府は、1969(昭和34)年9月に当事の有田喜一防衛庁長官が決めたように、3〜4年を目途に移転させることを確認する。過去8ヶ月間、12以上の候補地を探したが、結論を得るに至っていない。
水戸近傍の原子力発電所拡張計画があるので、地元からの返還要請も強い。
これに関して米側の特段の配慮を望む。」(以上、引用)
と述べたというもの。

水戸対地射爆場は昭和48年 3月に米軍から日本政府に正式返還された。
現在、日本にある射爆場は
久米島からさらに北へ約二十五キロの所に米軍射爆場の鳥島
三沢対地射爆場
日出生台射爆場
のようだ。
米自治領プエルトリコのビスケス島射爆場を閉鎖、や韓国の射爆場の閉鎖という
ニュースがある中で、
「地元の返還要請も強い。これに関して米側の‘特段の配慮’を」
払わせよう。

なお、
「 射爆場を抱えていた旧勝田市(現ひたちなか市)の統計などによれば、米軍機による事故は二百二十件で、米軍車両による交通事故も含め住民二十人が死亡しています。」という。






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