これだけの(4)
ハワイ沖の1969年1月の、恒例の作戦準備視察の最中に、
エンタープライズは重大事故にまきこまれた。


これだけの(4)

Part IV:
The Penalties of Nuclear Propulsion
第四部
原子力推進による不利益

 原子力推進という問題は単なる軍事的遂行と言う事柄ではない。原子力推進空母を建造する利益を評価する場合、原子力、つまり放射性廃棄物、過剰経費、反核感情といったものの不利益を考慮に入れなければならない。
 環境面での負荷、そしてある程度の運用上および就役後の問題は、不明確であり説明されていない。
 誰が核廃棄物を扱い貯蔵するかといういつでも激烈な論争は、まだ長く続く不経済な議論だ。また、海軍と政府の高官は、いつ原子力推進艦船が外国を訪問したり専管水域を通過するたびに、海外の政治的反目に対応するよう求め続けられている。

経済的負担

 原子力空母が通常型空母よりも建造、展開、補修、および退役などで高くつくことを疑うものはいない。
 原子力空母の完成までにかかる時間は、通常型空母のそれより40%も多い。にもかかわらず、原子力空母の建造費用は通常、公にされる数字だけだったり、各年度の予算で簡単に利用できるものだったりする。しかし、原子力空母はもっと高額の発電炉や、原子力燃料の生産と製造、原子炉の運転のための要員という乗員の追加、陸上の支援設備、オーバーホール、燃料補給、核燃料の処分、そして原子炉の廃用などのための追加費用を必要とするのだ。
 原子力空母が、海軍の現在の艦船建造計画の船体のわずか2%を占めるにすぎないとしても、原子力空母の補修と燃料補給は 、1995 年から1999財政年度の間の建造費と切り替えの予算額12億ドルのうち、ほぼ20%を消費しているのである。

 想定(11隻および12隻目のニミッツ級船体)を越えた二隻の艦船を追加することは、予期された水準をはるかに越えた防衛予算のいっそうの増大を意味する。ニミッツ級空母の原子炉は8億ドル以上かかり、その三分の一は原子炉の炉心に要するものだ。ニミッツ級空母の原子力推進発電装置の建造に要する産業努力は、高度に専門化されたものであり、小規模原子力潜水艦を製造するよりもっと大規模で異質の”専門生産ライン”の設営を不可欠とする。
 (ニミッツ級空母一隻で)ロサンジェルス級潜水艦10隻分か、バージニア級巡洋艦四隻分の建造に匹敵する工学的努力を要するのだ。
 海軍の原子力推進計画は議会で1972年に、ニミッツ級空母二隻を建造中であると証言する中で、「こうした大型の原子力推進発電の構造体の補修の必要年数は、もっとも限定的な設備の耐久年数よりも二年以上長く設定されている。
 実際、「ニミッツ級空母の建造計画で、これらの構造体の到着が建造を制するのは当初より周知のことだった」。
1991-1993の財政年度において、海軍は原子炉の支援設備に10億ドル近くを、また海軍の原子炉のため1994 - 1999財政年度中に6億ドルを計上していた。
 海軍の原子炉はあまりにも特殊化されていたため、製造、試験、計量、安全保守などの施設のそれぞれの専門化を求める程だった。
 海軍の原子炉炉心で用いる燃料は、商業用原子炉で使うものとは全く異なり、燃料製造工程は民間燃料製造で用いられている方法とは似つかぬものだった。
 濃縮ウランペレットの唯一の供給者であるテネシーのNFS原子力燃料サービスを除き、民間にもエネルギー省の施設にも海軍用原子力燃料を産出したり設備を持てるところはない、と海軍は1981年に明らかにしている。
 冷戦終了後、こうした高度の専門化した海軍の原子力産業は、米国の防衛政策と反目するものとなった。「国防省は、存続のために国防省にその産業基盤を依存し続けることに同意しない」とレス・アスピン国防相は1994年に大統領と議会への報告で結論付けた。
放射性物質は保存とオーバーホールに負担がかかり、訓練と保証、補修作業と込み入ったオーバーホールを複雑にさせる。
 実際、オーバーホールと原子力燃料とは、非原子力艦船に比べて原子力艦船にかかる追加支援費用の内、もっとも重要なものに入る。それは、ひとたび船舶が始動するやいなや簡単には削減できない固定費なのだ。オーバーホールする場合、放射性暴露の危険により非核船舶にくらべ原子力推進艦船の方がより高くつく。原子力空母の燃料補給時のオーバーホールは毎回、二年半にわたり20億ドル以上かかる財政事業であり、同期間通常型空母を維持し支える費用よりずっと多い

 最初の原子炉二基をもつニミッツ級空母の燃料補給時のオーバーホールは、1998年の開始を予定していたが、原子炉八基をもつエンタープライズのそれでの予想額より高い、23億ドルが想定されている。
 現存10隻および計画中のニミッツ級空母の燃料補給用オーバーホールの合計費用は、各艦の元々の購入価格に250億ドル以上を加えた、米国兵器史上もっとも高額のものとしている。それは、ニミッツ級空母の近代化と主要な補修のため、毎年8000万ドルを投ずる。
 これは、通常型空母を維持するよりも2500万ドル、およそ48%高くつく。これには物質的インフラや基盤、廃物処理、備蓄作業、原子力支援施設に配備された人員と言った間接費は含まない。
 海軍の1982年の議会での証言によれば、「原子力発電での作業は、施設、安全維持、専門的技術知識、訓練、品質管理など、化石燃料の艦船に比べ遥かに多大なる投資を必要とする」。

 それらの結果、原子力空母は通常型空母に比べると、就役期間のより多くをオーバーホールや補修に費やし、そのため配備のための利用度、対応はより低くなる。原子力推進は安全性を求め、原子力の安全性はハイコストとなる。通常型空母のエンジンルームに比べ、原子力空母の原子力発電はより大きな船室の躯体と場所を必要とする。それ以上に、原子力推進は概してより高度の専門教育と高学力が必須となる。
 同様に定期的需要により、安全保持と確認のための巨額の投資が運用コストを押し上げることとなる。
 海軍の燃料精製施設が求める安全計画は今や、原子力兵器施設で求められているものに比肩される程だ。いうならば、民間の立場からすれば魅力にかける分野なのだ。また、原子炉部品の製造工程が極めて長期化する原子力空母は、その建設に通常型空母よりも通常二年余計にかかる。従来、資金供与から就役まで、通常型空母ではわずか4.2年だが、原子力空母は平均7.2年かかる。
 最後に、他のすべての艦船同様、原子力空母も現役を終了するにあたって解体されなければならない。しかし、原子力推進は退役を複雑にさせ、コストを高くする。最初の原子力空母となったエンタープライズ
の退役は、2014 年前後だが、6億ドルと推定されており、非原子力船の退役コストの10倍と見なされている。
 この他に、何百年も使用済み核燃料を貯蔵するための、不明な費用も加算されよう。原子力空母の建造と運用費用に加えて、新しい原子炉の調査、開発と、陸上での配船の費用も、艦隊が原子力空母を備えるコストも増大する。
 1979年より、海軍の原子力推進計画の要求額は総計90億ドルに達し、二基の空母の補修費用と肩を並べた。1995年に、エネルギー省と海軍はともに海軍推進作業のため15億ドル近くを費やそうと計画している。
 要するに、より安価で後方支援上も容易な通常型艦船が、もっと高価で複雑な原子力空母に、一隻ずつ以上のペースでon a less than one-for-one basis取り替えられているのだ。

The Burden of Radioactive Waste
放射性廃棄物からの負荷

 通常型空母と違って、原子力空母は、何世紀も環境保全のため密封を必要とする高濃度の放射性廃棄物を排出する。最初の原子力空母エンタープライズは、1961年の就役以来、32の炉心を使い果たした。
 同空母は現在、バージニアのニューポート新造船所での燃料オーバーホールで八基の炉心を装着している。新しい燃料は、2014年ころの退役まで保つだろう。
 最新の双児の発電基をもつニミッツ級の空母は、就役期間中に少なくとも四つの炉心がそれぞれ燃え尽きるよう設計されている。
 放射性廃棄物は有害物質を扱う特別な施設と人員を必要としており、維持と運用を複雑にさせ、費用を押し上げている。
 放射性物質の取扱いと貯蔵は、恐ろしい程高くつき、1950年代より、少なくとも100-200億ドルが、アイダホ州のアイダホ国立工学研究所INELの施設で海軍の使用済み核燃料の実験、貯蔵のため、使われた。
 エンタープライズの使用済み核燃料をアイダホに運搬するまでニューポート新造船所で一時的に貯蔵する費用は、毎月40万ドルかかり、さらに、この海軍造船所で核燃料を貯蔵するのにかかる特別安全費用が、毎年150万ドルかかる。

 海軍が1981-1992年に払わされた使用済み核燃料の運搬、受領、貯蔵、加工費用は、3.3億ドル以上であった。アイダホのINELに作られた冷水池(Cooling Pond)は、一時的に海軍の使用済み核燃料coresを貯蔵するが、1981年に1.32億ドルかかった。同様に、フロリダのメイポートを母港とする通常型空母を原子力空母に置き換えるためには、放射性物質を維持するための陸上保管施設に、一億ドル近く必要だ。
 このコストは、原子力空母母港のある6ケ所でも同じく必要だ。40年間も核廃棄物をだし続けてきたのに、海軍は未だに恒久的な置き場を持っていない。
 むしろ、高濃度の放射性物質がINELの冷却池に一時的に積み上げられている。1957年から海軍は、艦船、潜水艦、陸上試験原子炉から出た合計1000トン程の使用済み核燃料をINELまで500回船で運んだ。1992年四月にエネルギー省が使用済み燃料の精製を中止するまで、ここで、600トン以上の核廃棄物が再精製された。
 加えて、1993 半ばから 1995半ばまで、(およそ70のコンテナ分の)使用済み核燃料150トンを別に300回搬送することも計画されていた。さらに、ほぼ24隻の核艦船への燃料補給もしくは燃料抜き取りが1995財政年度末までに計画されていたのである。
approximately 24 more nuclear warships are
scheduled to be refueled or defueled by the end
of FY 1995, the next nuclear carrier in 1998.

 使用済み原子炉燃料に加え、原子力空母はまた、液体・固体を問わず中・低レベルの多様な放射性廃棄物を生み出す。
 艦船乗組員を有害な放射能から守るため、厚いスチールと鉛の壁で防御されているが、原子炉内の核分裂過程から、人体への被曝をさけるため厳重に貯蔵し保守されなければならない冷却水、機械、設備への放射がおきる。固体の低レベル廃棄物には、機械、フィルター、プラスチックや衣類、および艦船内、保管、もしくはオーバーホールで被爆した物質を含む。
 1970年までは、ある種の固定廃棄物、汚染したイオン交換樹脂床などが海に投下されてきたが、それ以降、それらは集められてコンテナにつめられ、米国核規制委員会NRCにより許可を得たか、もしくはNRCとの協定下にある廃棄物場に埋められるようになった。
 海軍は、海軍の原子力推進計画で生じた固定放射能廃棄物が、1961年より合計でおよそ180万立法フィート、もしくは毎年6万立法フィートになった、と報告している。
 保管とオーバーホールの最中に、また原子炉の隔室や廃棄物貯蔵地域で作業中、中・低レベルの放射能をふくむ固体・液体廃棄物が生じる。
 Newport Newsでの他の原子力艦船のオーバーホールと建造に加えて、エンタープライズの燃料補給/オーバーホールは、普段より”多くの放射性廃棄物を生じた、と国防相の1993年会計報告が述べている。
 「原子炉の多くの部品と、若干の補助部品は交換しなければならない。これらは、放射能汚染されており、放射性汚染物処理場に隔離され処理されなければならない。」(同)

 1970財政年度に、エンタープライズが同造船所で二度目の燃料補給をやっている時、Newport Newsでは28,000立法フィートの放射性廃棄物が出た。
 1992財政年度には、エンタープライズは四度目の燃料補給をやったが、19,226
立法フィートもの、最大量の放射性廃棄物が出た。
 さらに、廃棄物の山に、設備、清掃装置clean-up gear、および人員が汚染されるという事件が加わる。例えば、1992年10月17日、Newport News造船所でエンタープライズの艦上で核漏出が起きた。バルブを溶接中の工員がマニュアルに忠実でなかったため、空母の四つの隔室と9人が放射性を帯びた水で汚染された。
 そのような事件による清掃コストが、原子力推進の全体費用をさらに押し上げる。固体の廃棄物は地上で埋められるが、一定の、放射能を帯びた冷却水は、世界の海洋にいつも通り放出される。
 海軍による放射性物質の海洋投棄は、民間の原子力発電所からのものを禁止している国際条約の適用を受けない。しかし、海軍は、そのような投棄は「厳重な制約の下に」行なっており、過去20年間の国際的海域への一年当たりの投棄は、きっちり0.4キュリーであった、と主張する。
 12マイルの域内では、常に、0.002キュリー以下のものが環境に放出されてきた、と海軍は言う.

原子炉が運転温度まで温度をあげ、冷却水を膨張させる時、最大量の冷却水の放出が行なわれる。
 これは、それぞれの船で月に二、三回生じ、各回の放出量は平均500ガロンである。
 しかしこれらの放出のある程度は”管理”されているものの、他はそうではない。1992年11月、原子力巡洋艦ロング・ビーチがおよそ109 ガロンの第一次冷却水を、サンジエゴ海軍基地に係留中、二週間にわたり漏出していたことが明らかになった。
 サンジエゴ・ユニオンに開示された海軍の記録によれば、放射能を帯びた冷却水の船外への放出を制限する第一次安全バルブが機能しなくなり、第一次冷却水もまたハワイのパール・ハーバー、ワシントン州のインディアンアイランド、およびパナマのロッドマンに漏出した。
 海軍は、環境への負荷にはならず、またそれは「避けがたいもので、どの原子力艦船でも起こり、よく理解され、計算に入れられている、極めて少量のバルブからの漏出である、と主張した。

No Waste To Go
もはや許されない廃棄(?)

 1993年6月、使用済み核燃料のすべてをINEL廃棄物施設に搬送してはならない、との判決が出された。
 使用済み核燃料をそこに40年も、永久保管施設もなしに積み上げるということは、--実際、恒久的捨て場となっているが--アイダホ州に、いかなる船荷を受け取る前に環境影響評価Environmental Impact Statement (EIS) を要求させた。
 海軍原子力推進計画は、この判決をひっくり返すことができなかったものの、その原子力艦隊が(送られなければ)、不可欠な海軍の作戦を崩壊しかねない海軍の廃棄物を満杯にしかねない、と主張し、何とか
19の当座の船荷に関する協定をアイダホ州知事と結んだ。

 海軍造船所での使用済み核燃料の一時貯蔵についてのこうした見通しに直面して、原子力艦船から移送された使用済み核燃料が貯蔵されている海軍造船所では目下、環境影響評価EISが行なわれている。

 すべての造船所は、原子力推進に先行する長い歴史があるけれども、
同時に伝統的港湾の人口集中地域に位置している。
 1700万人以上の人々が、目下、核戦艦の燃料抜き取りをしている6つの造船所から10マイル(16キロ)以内に住んでいる。(1マイル= 1,609m)。
 また、下町に核廃棄物を貯蔵するのは、政治的あつれきを生じ続けやすい。もしこの計画を進行させるのであれば、海軍の核運用に対する世間の信頼は決定的に重要だ。
 海軍はこの核計画が世論によって容易に傷つけられるということを十分すぎる程承知している。
 海軍の命令は、「大衆の反応如何で、小さな事件ですら海軍およびその世界的な原子力艦船の展開に多大な影響を与えうるものだ」と警告している。
 「われわれの仕事全部が、大衆の信頼と信用に基づいている」と、海軍原子力推進計画の責任者ブルース・デマーズ提督は1993年の議会の使用済み核燃料運搬に関する公聴会で議員に語った。
 「我々はそのことをよく知っている。こうした会議なんかで演習もやるが、そうしたことは国民からの信頼を築く上で極めて重要だと考えている。毎年、環境および安全記録を公表しており、もちろん、議会にも送っている」とデマーズ提督。
 だが海軍の環境・安全記録が完全かどうかは、他の社会の記録全般同様、平等な管理と言う条件つきだ。
 1993年の議会の環境影響評価とアイダホへの使用済みの海軍核燃料の運送に関する公聴会で、デマーズ提督は議会に「海軍は国家環境政策法もしくは他のあらゆる環境法規の適用除外を求めているのではない」と請け合った。
 同時に海軍は、議会が検討している水質清浄法を連邦のあらゆる施設に適用しないよう、積極的に働きかけてきた。
 水質清浄法に海軍原子力推進計画を適応させることは、その清潔だが自前で作成したモニター記録への”不信”を招きかねない、と海軍は主張した。

運用上の制約

 最初の原子力艦船が運用されてから40年近く、原子力艦船による寄港は極めて疑惑の多いものだった。またいくつかの国は、放射能事件への憂慮から寄港を拒否し続けてきた。
 例えば、ニュージーランドのような国はその港湾への核艦船の寄港を完全に禁止し、デンマークのような国は、核艦船の寄港を原則として受け入れるが、原子炉についての技術的情報--環境への影響を判断するのに必要だが、アメリカが提供を拒否している--の提供を求めたため、一隻も訪問できずにいる。
 1980年代のほとんどの間、海軍は外国の港を核艦船に開放させるため開発計画をすすめた。1982年の一月、ニミッツはスペインのマロルカ島の訪問を許された最初の空母となった。
 「この、ニミッツのパルマの首都への最初の訪問は、米原子力空母のスペイン諸港への寄港の先例となった」と海軍は報告した。ニミッツはちょうど一年後、この島へ戻った。
 しかしながら、この10年間の長期の外交努力も、さして目立つものではなかった。
 他に15の港が開かれたものの、原子力艦船の寄港を受け入れた国の数は実質的に変わらなかった。
 デマーズ提督は1992年4月、議会で、原子力艦船は国内および海外の150の港に入ることができる、と語った。
 そのうち、ほぼ三分の一は国内の港で、1990、1991年に寄港した100以上の港湾は50カ国に及んだ。
 空母艦隊が縮小を続けている折、一つかそれ以上の空母の母港を海外で持つのは、海軍にとって、遠距離地域に継続的かそれに近い駐留を確保することはより魅力的なものとなるだろう。
ところが、原子力だからということで、ほとんどの国が空母の母港を認めようとしない。一隻の空母が日本を母港としているが、同国は原子力空母の訪問を受け入れて入るものの、母港とされた原子力空母は一隻もない。
 ともあれ、米国が、原子力空母の海外での保持に必要な、広大な原子力保有施設を移動(画策)しそうにない以上、原子力空母を定期的に本国に保守および修理のため帰還させることは、外国での母港化からの利点を無にするものだ。
 反核感情はまた、海軍の地中海とインド洋の間の作戦行動を妨害し続ける。
 エジプトはしばしばスエズ運河の使用を許可したが、同国は原子力艦船の水路通過を基本的に禁止している。
 1984年に最初の洋上原子力艦船が同運河の通過を許された時、得意になった米高官は、外交の突破点だ、と讃えた。
 「この問題のために30年も携わったんだ」と海軍原子力推進計画の前代表、マッキ−提督は1987年二月の、核通過と寄港に関する議会の公聴会で語った。
 「我々が国内で払っているものと同レベルの注意で臨んでいるんだ、という説明を受け入れてもらうことだ。国外の核への感情に対応するのはますます難しくなっている。
 チェルノブイリはエジプトとの論議を一からやり直させた」と。

Reactors in the Line of Fire
的中範囲にある原子炉

 原子力艦船が敵の魚雷や空襲、またはミサイル攻撃によって沈没もしくは致命的な被害を受けることについてのリスクは、全くといってもいい程関心を集めていない。
 遠洋?"Blue water"”海軍戦略は、原子力艦船や原子力潜水艦を陸へと近付け、沿岸水域での展開へと変化してきた。
 上記の被害を避けるため、原子力洋上艦船は湾岸戦争で、通常型より、前進配備の位置で遅れをとったといえよう。
 ペルシャ湾での原子力艦船の展開は、機雷やイラクの攻撃から原子炉を守る手段として、部分的に制約されように見える

 ルーズベルトの展開地域は、他の空母よりもっと南方だった。
 原子力巡洋艦は、ペルシャ湾に全く入らなかったが、恐るべき結末が想定される機雷と糸も簡単に接触したかも知れない。
 原子力空母はしばしば、ほとんど不沈だと言われてきた。
 ハワイ沖の1969年1月の、恒例の作戦準備視察の最中に、エンタープライズは重大事故にまきこまれた。
 ズーニーZuniロケットが飛行甲板の船尾で爆発し、火災を起こし、離陸のため燃料を積み武装した、何機かの集積された航空機の中に広がった。九つの大口径爆弾Nine major caliber bombsが火災で爆発し、28名の乗務員を死にいたらしめ、343名を負傷させた。
 消化終了までに、航空機15機が破壊された。

 海軍はのちに、この、「巡航ミサイルほぼ6発に相当する」破壊力をもった火災を、同艦の困難さの一例としてあげ、「設計者と建造者が我が原子力空母のためにあつらえてくれた能力」と描いた。
 エンタープライズは数時間後、「飛行甲板後尾の残がいが片付けられるとすぐ、予定通り航空作戦を再開できた」と1972年海軍作戦部長は議会で胸をはった。
 同艦の事件当時の司令官Kent L. Lee副提督は、それほど楽観的ではなかった。
 彼は原子力が海上で直面した危険を「飛行甲板の後尾には15から20機の航空機があったが、燃料と弾薬、ズーニーロケット、爆弾を満載していた。同艦の安全は重大な局面にあった。
 ハンガーデッキに頭上のスプリンクラーで水を注ぎ、火災を飛行甲板の後尾に押し込めようとしなければならないのは分かっていた。
 甲板にあった最小の防火器具では、大したことなどできようもなかった。
 もしハンガーデッキに火が広がっていたら、我々は極めて簡単にこの船を失っていただろう。
 海軍は、”魚雷攻撃からの回避”を行なうため高速出動に言及していたとはいうものの、このニミッツ級空母は新しい魚雷防御システムに適合していた。
 しかし、このシステムは、原子炉を絶対確実にfoolproof守るものではなかったのだ。
 海軍調査会議による1991年の将来の空母の設計および工法に関する主な研究は、アメリカの将来の空母を有効なものとするため、現在のニミッツ級の設計以上でなくとも、最低限、同程度頑強なものでなければならないであろう、と結論付けた。

 実際、1994年までに充当された八隻の原子力空母の船底防衛は、大型の龍骨下部under-keel魚雷の攻撃には不十分であり、その防御の更新は、港湾の深度制限と船舶の設計、および内部の容量などから抑制されてきた。
 同報告はまた、「参照しうる研究によれば、1から3もしくは4の空中投下された兵器(500から1000キロの敵の巡航/弾道ミサイルの大形弾頭など)があたった空母は、相当の時間、機能不全に陥らされ、さらに決定的攻撃にさらされやすい。make it more vulnerable
to a killing attack.」と結論付けた。

 それだけでなく、原子力空母は「発電装置を徹底的に分解させられ、弾薬庫を爆破されやすく、龍骨下部の破壊をねらった魚雷により、龍骨を砕かれやすい。
 攻撃の機会を最小のものとすべく決定された他重層の防御にもかかわらず、特定された敵は空母上に火災を起こすことができるということを、認めなければならない」と国家調査会議はまとめた。(以上)




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