町田古宮杜司男市議の自由民権
関連質問・市側答弁


 以下、町田市の古宮杜司男市議による自由民権関連質問と市側答弁を紹介します。こうした質問を議会でされてきた古宮さんに敬意を表して。(議会議事録より「古宮・自由民権」で検索しました)

◆32番(古宮杜司男)
平成16年 6月定例会(第2回)−06月10日-02号

第3問、自由民権の鐘につちを。
 これは私がこの前もやったの。お客に御飯や料理を出すときに、はしを添えるじゃありませんか、寺田市長。つちを添えて、つくかつかないかは来園者の自由だ。そこで、私は周辺住民に聞いたら、ついたって構わないと言った。少しもやかましくないと。今はもうシャットアウトしているから、冷暖房だからシャットアウトしている。そして、テレビをかけているから、そんなもの、ゴーンとついたって、古宮さん、何もやかましくないよと言っているの。だったらつかない鐘を何のためにあんなところへぶら下げているんだよ。

◎市長(寺田和雄)

 それからもう1つ、自由民権の碑ですね。これもまた教育委員会からお答えがあると思いますが、あれは1つの彫像でありまして、彫刻なんです。確かに鐘の形はあるけれども、全体として1つの彫刻でありますから、寺院にあるように、しょっちゅう鳴らすという考えでできていないわけであります。あれは毎年、観蓮会、このときに開放して市民の皆さんに朝方ついていただいておりますが、常時鳴らすというふうにはなっていないものでありますから、ここのところはなかなか難しい問題だなというふうに思います。
 ただ、鐘があるんだからつちがなければおかしいじゃないかというご指摘を前にもいただいておりますので、これは検討はさせておりますが、これは教育委員会からお答えをいたします。


平成15年12月定例会(第4回)−12月12日-05号

 第1問は、自由民権の鐘になぜつちがないかということですね。
 鳴らさぬ鐘なら無意味だ。月に1回か年に1回か、この鐘をついて維新の志士をしのぶべきではないか。これが第1問です。

◎市長(寺田和雄) それでは、お答えをいたします。
 まず最初に、自由民権の鐘の問題でありますが、これは議員さん方もご存じのように、薬師池公園の中に、もう大分でき上がってから時間もたちますけれども、地元作家の三橋國民先生の作による大変立派な自由民権を象徴する鐘ができたわけでありまして、あれは全体では130トンという石を使ってつくった大変立派なものであります。あの自由民権という鐘は、ちょうどこのくらいの大きさでしょうか、あれに自由民権というふうに書いてある。あれは私が書かせていただきました。
 要するに、ご質問はなぜいつも鳴らさないのか、こういうことでありますが、現在は夏の朝、観蓮会、蓮を見る会、そのときに私も行って市民にもついてもらっているわけでありますが、あの鐘はもともとお寺の鐘のような構造に、性質のものではない。つまり、カンカンカンカン音がして、お寺のようにゴオーンという荘重な音とはちょっと性格が違うんですね。そのために、あれを余りやりますと、近所からいろいろご不満もあるようでありまして、特定のときにだけ市民にも打っていただくということをしているわけであります。
 もっと回数がふやせればいいんですけれども、これらはまたよく研究させてみたいと思いますが、やはり周辺の事情もあるということはぜひ、周辺なり来園者、そういうふうなことも配慮をしているという点でご理解をいただきたいというふうに思っているところであります。

◆32番(古宮杜司男) 自席から二、三点。
 自由民権の鐘についてですが、敗戦によって一夜明けたら民主主義、民主主義、はあ、一夜明けたらね。民主主義と言うからわからなくなるんですよね、寺田市長。私に言わせてみれば、国民主権者主義ですよ。国民主権者主義。そのもとを開くのに、あなたに休憩時間中に、この色川大吉教授が執筆しました「日本の歴史21」、多摩の群像、近代国家の出発、そこだけの必要なところだけ抜粋してあなたに差し上げました。井戸塀しか残らなかった。井戸塀というのは井戸ですよ。塀は、いわゆる塀ですよ。
 これはちょっと長くなりますから読みませんが、いわゆる国家の政治の主権は天皇にあるんではなくて、国民にあるんですよということを、これはもう戦後、天皇陛下が人間宣言をやって、私は神様でもなければ何でもないんだ。一部の学者や一部の軍閥が私をこんなことにしてしまったと言って、全国を行幸して回りましたね。あれが本音なんですよね。勝手にまつり上げられたんだから。軍閥から利用されたんだからね。
 そのことを今、私が駅頭で演説しますね。そうすると、警察の許可証を持っているんだ。道路使用の許可証。そうすると、小田急の踏切を渡るんだ。そうしたら、左側はマツモトキヨシだ。道路の左側に車をとめて、おまえは街頭演説していいよという町田の警察署長の許可証を私は持っているわけなの。そのとおりとめるんですよね。そうしたら、警官が来るの。ああ、そこにとめちゃだめ。古宮さん、こっちに来な。右側にとめるの。それじゃ右側じゃないと言ったら、いいんだ、いいんだ、右側でいいんだと。
 そういうような政治に変わるために、この井戸塀の、ここに名前がちゃんと、細野喜代四郎、石阪昌孝、この人たちはとうとうアメリカに追われて、野津田におれなくて、アメリカに追われて、そしてとうとうニコヨンになって途中で亡くなったんですね。「明治18年6月、透谷と美那がほのかなめぐりあいをした鶴川の石阪邸も、『まだ柿の実が青かったころでした』という、柿の樹のほかには、なにひとつ残っていない」、「失明して寂しい荒野に埋められた」。寺田市長、こういう先達の人が、これは八王子から出てきたのでも、横浜から出ておるのでもなくて、我が町田市から出ているんですね。歴史の遺産ですよね。
 それで私は、やはりつくべきではないか。そんなものを一々ついていたらやかましいですよ。ところが、寺田市長、私は単車で全部町田のお寺を回ったの。そうしたら、ここにありますけれども、全部あるんですよね。こんな大きなのがね。じゃ、ついているか。ついたら、あんた、過密化した市街地で大変な騒音問題が起きますよ。それで、ちゃんとここに施錠しているの。施錠しているけれども、あるんですよ。それは御飯におはしがあるのと同じなんですよ。どんな理由があるにしたって、立派な鐘があるのに何にもないんだよね。何でしょうね。このことについて、ひとつもう1回、寺田市長、答弁してください。

◎市長(寺田和雄) わかりました。古宮さんのおっしゃるのは、鐘をつけということではなくて、つく拍子木を一緒に置いておけよという意味なんですね。鐘は、あの鐘楼の鐘だけでは音は出ないわけですから、当然つちがなければ音が出ないわけでありますから、そのつちもはしと同じように置いておけ、こういう意味なんだろうと思いますので、これはそういううまいふうにできるかどうかは別にしまして、ちょっと研究をさせてみたいというふうに思います。やたらに鳴らされると、先ほど申し上げたように、いろいろ別の意見が出てくるわけであります。
 そこで、今、自由民権の関係で石阪昌孝さんや何かのお話がございましたけれども、これは石阪昌孝さんというのは、ご存じのように、町田の民権運動のいわば最リーダーでありますね。そして、あそこに民権の森というのがありまして、ぼたん園のところに。あそこに旧石阪昌孝さんの屋敷跡があります。
 そこは今、ぼたん園の中にしておりまして、非常にすばらしい芝などを植えて市民が楽しんでいるところでありますが、この地域はぜひ昌孝さんの旧宅を復元してほしいという地元の、この民権運動にかかわる研究者の皆さんや何かからかつても要請をいただいておりますが、そういう意味で既に用地は買収してあるわけですが、いつかはそんなふうなこともできればいいなと。あそこには山の上に石阪昌孝さんのお墓もありますからね。旧宅が復元できれば、あそこで石阪昌孝さんの娘の美那子さんと作家の透谷が知り合いまして、そこでついに結婚をされたという日本の文学史上の非常に大きな歴史の1つのもとになっていますから、これはいつかはもっと市民に知っていただくようにしたいなと思っています。
 石阪昌孝さんは30町歩ほどの土地を持っておりましたけれども、すべて政治で失ってしまって、井戸塀というふうに言われていますが、井戸も塀もないという状況でお亡くなりになったわけであります。息子の公歴さんは、アメリカに渡って若くして、そして亡くなったということでありますが、日本の自由民権運動の歴史の中にしっかりと記録されていることでありますから、ご意見を十分賜ってこれからも一層町田の1つの歴史として確立をしていきたいというふうに思います。


◎市長(寺田和雄) 

自由民権像の関係でありますが、これは確かに答申はいただきましたけれども、これを具体的に作者にお願いをするとなると、自由民権をイメージできるようなものとなりますと、非常に難しいわけでありまして、この辺については私も今、いろいろと思案をしている段階であります。個人を象徴するような形の像でもなく、しかも何かわからない全くの抽象画のようなものでもなく、いわば明治の時代に町田の青年たちが高らかに自由民権を唱えて、迫害に耐えて活動してきたという、そういう青年の意気みたいなものが何らかの形で象徴されるようなもの、これをぜひ考えていきたいというふうに思っているところでありまして、一、二の考えはあるわけでありますが、もう少し詰めた上で実施に移してまいりたいというふうに考えております。

平成 7年 9月定例会(第3回)−09月14日-03号

5番 今村路加議員。

 緑地の今後の買収計画というお話でありますが、今、正式に調べたものはありませんけれども、ざっと頭の中で考えられるだけで、例えば南方面から参りますと、金森の市民の森なども、いずれは最終的には買収ということになるんじゃないかと思いますね。それから、成瀬の体育館の前に公園がございます。これも借地でやっておるわけでありまして、これもいずれは買収しなければいけない。それから、成瀬の三ツ又周辺の緑地、これもさらに買収を拡大するつもりでありますし、薬科大学の手前にあります成瀬山の山も、そのまま買収というふうな計画であります。
 そのほか、小田急線の西側へ参れば、薬師池公園周辺、それから七国山周辺の緑地の買収、これは今も継続をして行っているわけです。そのほか、民権の森のこれからの買収とか、さらには野津田公園のさらに小野路川の一連の緑地の買収、さらには忠生公園とか、あるいは相原の中央公園の買収であるとか、あるいは区画整理の中で、緑地として残していただいている小山・相原地域の区画整理の中にある緑地等々、これらもいずれは買収しなければいけません。これを面積、金額に置きかえますと、正確な計算をしたわけじゃありませんけれども、恐らく優に何百億という金額になるだろうというふうに思っているわけでありまして、そういう努力をこれからもしていくということで今までもやっているということであります。

平成 6年 3月定例会(第1回)−03月25日-06号

第1点、町田市固有文化の創造を。自由民権運動志士群像の建立を望む。このたび発表された施政方針の12項目の中の第3に「もっと多彩に、より豊かな町田の個性、特性をつくります」とあるが、その町田の個性の一つとして、我が町田市の持つ輝かしい歴史の遺産たる自由民権運動があるのでありますが、これを評価するときに忘れてならないのは、その当時の時代の背景と社会事情であろうかと思います。
 言論、集会、結社、出版の自由を保障されなかった時代に、石坂昌孝、その娘の美那子、美那子と熱い恋に結ばれた北村透谷、細野喜代四郎等々の志士は集会を強行し、リーダーが「諸君」と一声発しただけで、臨場警官から「弁士、中止」、これを無視して再び「諸君」と発しただけで、まだ一言も自己の意思やイデオロギーを発していないのに拘束され、投獄された時代、その時代に財産をつぎ込み、妻子と別れ、高い年貢の取り立て、すなわち苛斂誅求に苦しむ大衆を救った志士の足跡をたたえることこそ、我が町田市固有の文化の創造であり、市政のバックボーンであり、かつ教育の原点であると私は思います。これは、足跡の内容は違いますけれども、かの四国桂浜にそびえ立つ坂本竜馬のブロンズに匹敵するものでありまして、これにたれとたれを選ぶかは専門家に委嘱すればよいのであり、その建立場所は、再開発された市街地の中心部であれば、さらにその効果を増すものと私は思いますが、市長、いかがでございましょう。
 統計資料によれば、小田急町田駅の年間乗降延べ人員は1億2,000万人、JRが6,000万人、東急ハンズのお客が年間2億人、この中心街の一角にそびえ立つ、この志士群像を仰ぎ見る少年少女が「父さん、あれ何」と聞いたとき、「おまえのな、生まれたこの町田は、こんな立派な人物のいたすばらしい町田だよ」と教えるときに「ワー、すごい。僕の生まれた町田はすばらしいね」と誇りを持って成長し、生きていくでありましょう。これこそ、あなたがこの町田に残す市長としての大きな遺産の一つと思い、私はあなたにぜひその実現を熱望するものであります。

◎市長(寺田和雄 君) それでは、お答えを申し上げます。
 まず最初に、自由民権の運動家、こういう方々の像の建立というお話でありますが、私もかねがね町田の歴史の中で、何か現在の市民にも語り継がれるといいますか、あるいはみずからの郷土の歴史が誇れるというふうなこととして、この種のものの建設といったらよろしいのでしょうか、あるいは建立といったらよろしいのでしょうか、そんなふうなものも考えていたところであります。
 私は、大ざっぱに言って、町田の歴史の中で特に特徴がある、他市に比べて特徴があって誇れるというような点は、一つは縄文文化ですね。それから、やはり旧鎌倉街道に象徴される鎌倉期のいろんな文化、歴史、近いところでは明治における自由民権運動、この辺が町田の歴史の中でも、いわば象徴的な部分ではないかなという気がしているところであります。
 したがって、そういう意味で、民権関係につきましては、既に鶴川地域に自由民権資料館をつくって、さまざまな展示を行ったり、企画展を行っているわけでありますが、これをもっともっと発展をさせたいということで、現在その増築計画を練っているところであります。そうすることによって、一層自由民権発祥の地であるということをたくさんの皆さんに知っていただく、そういうことにしたいと思っております。
 また、この町田市内でこの種のことに大変ご熱心に研究されている地方史研究会の皆さんを初めとして、既に私のところへご要望がありますのは、ちょっと話からそれますけれども、野津田に自由民権の森がございます。ぼたん園のところでありますが、そこは石坂昌孝の住宅のあったところでありまして、いわばここが昌孝と、昌孝の娘である美那子と、それから北村透谷との出会いの場であるわけでありまして、そういう意味で、この石坂昌孝の住宅跡を市が買い取って、そして、できればそこへ、そういう事績を知ってもらうという意味での復元などもやってみたらどうか。そんなふうなことも要望されているわけでありまして、これらも、できれば機会を見て対応しながら、もっともっと鶴川地域との民権運動、あるいは、さらに言えば武相地区における民権運動の場所として、一層その整備に取り組んでいきたいというふうな気持ちであります。
 そういうような観点から、今お話のありました民権家の像、この建立については、私もこの際、検討してみたいというふうに考えておりまして、市内のこの種のことに非常に関心を持っていられる方がたくさんいらっしゃいますので、できれば、そういう方の何人かで研究会みたいなものをつくっていただいて、ご質問者が言われるイメージ、あるいは私自身が持っているイメージ等を合わせながら、さらに一層練っていただいて、将来はその像の建立にまで持っていきたいというふうに思っているところであります。場所等についても、駅前も含めて、市民の人が十分よくわかる、こういうような場所にできればすばらしいというふうに思っておりますが、どの程度の大きさの像になるのかまだわかりませんので、それらも含めてこれから検討してまいりたいと思っております。
 私は、まだこの像について夢があるわけでありまして、青春民権像などという名称はどうかななんて自分では思っているんですが、そういう民権運動、青春時代に一生懸命取り組んできた我が町田の先輩、その方々を何らかの形で像として残していきたいという夢は古宮さんと全く同じでありますので、ぜひご理解をいただきたいと思います。

◆29番(古宮杜司男 君) 

 第1問の自由民権運動家の顕彰の件でありますが、私は史実を勉強して驚いたのは、当時の人口は相模原市を含めてわずかに1万5,000人、その中から生活に苦しむ大衆が、何と3,000人が御殿峠に蜂起をした。これを今の36万の市民に当てはめたならば、7万人が蜂起したということですね。その弾圧下において、これだけの大衆をリードをしてきた人物というのは、私は大変な大人物だと思いますね。だから、大変前向きな、寺田市長ご自身のお言葉で、(仮称)自由民権像というようなものが考えられるのではないかということで、ご答弁いただきまして、ありがとうございました。

平成 3年 6月定例会(第2回)−06月17日-04号

なぜ町田市の歴史的な唯一の遺産たる自由民権志士の群像をモニュメントとして建立して,町田市の独自性を発揮しないのか。現在の二つのモニュメントにどれだけの意義があるんだ。私は,この今のモニュメントに苦い思い出があります。二・一ヘクタールの再開発が最後の段階を迎えて完成期に,どうした間違いか,私が特別委員会の委員長でございました。だんだん煮詰まりまして,モニュメントに入ったね。何を置くんだ,今検討中でございます。何を置くんだ,次の特別委員会で,ただいま検討中でございます。そして,いよいよ全部でき上がってモニュメントになった段階で,委員会が現場を視察した。よくできていたね。そのときに,今日の助役,牧田さん,あなたは,そのとき,開発事務所長だ。おれに何と言った。実はモニュメントができ上がりました。今,そこに白い木綿に包んで持ってきてあります。特別委員会は,町田市議会を代表した委員会だよ。各会派から全部出ているよ。その委員会が,再三にわたって何を飾ろうとするのかと聞いたときに,検討中でございます,検討中でございます。特別委員会なんか,もうこれっぽっちも眼中にないよ。

 そして,あれをあけた。白い木綿を解いた。何が出てきたんだ。今のモニュメントだ。あれは何だと言ったら,あれは伊藤隆道というデザイナーがつくって,モブという会社でつくりました。どういう意味があるんだい。あれは無限大の意味でございます。冗談じゃないよ。世界が,人類が,限りある資源,エネルギーを使って無限大に発展できるのかね。そんなばかなモニュメントを飾って,私が市長ならば,町田市が誇るところの自由民権の志士,民権というのは人権ということよ。今の憲法の言う人権なのよ。三十四番議員が指摘をした人権なんだよ。それを家庭を捨て,妻を捨て,財産を捨てて,石阪美那子さんはどこで亡くなったと思いますか,寺田市長。野津田で亡くなったんじゃないのよ。私の知るところでは,オホーツク沿岸か,アラスカで骨になっていますよ。当時の世界状況は,諸君と言うと,弁士中止だ,まだ何も言っていない。そこで,諸君と言うと,もう逮捕だよ。そういう時代に人権を守ってきた人たちが,この町田市に歴史の遺産としてあるのよ。なぜそれを飾らないの。こういう財産に目をつけ切らないようなことじゃだめ。平凡な町田市だな。こう思いませんか。今からでも遅くない。やりなさい。

◎市長(寺田和雄 君)

次に,モニュメントの関係でありますが,これについては,やはりそれぞれ彫刻にしても,モニュメントのにしても,個々の価値観の差というのはあるわけでありまして,古宮議員さんにはお気に召さないかもしれないけれども,しかし,あれがいいということで,大変モダンであるということで,さまざまなガイドブックに,いつも一番先にあれが写真として載せられるということもあるわけでありますから,決してこれは意味のないものではないというふうに思うんです。ですから,ご発言の中で,ばかなモニュメントという点がございましたけれども,前の方の修正は,むしろこれはご考慮をいただきたいという気がするわけであります。
 ただ,自由民権の像の問題については,これは前からご提言でありますから,私どもも聞いてはおきますけれども,これまた,やはりどういう人を民権の像にふさわしいと考えるかということについては,いろいろ議論のあるところでありまして,その人の評価というのは,やはりなかなか難しいわけです。市民の総意として,一種の銅像のようにするということになれば,いろんな議論があるわけです。
 ただ,そうじゃなくて,特定の人でなくて,町田が自由民権運動の発祥の地として,いわば自由民権を何か意味するような,そういうモニュメントであるということならば,これは一考の余地があるだろうという気はするわけでありますが,いずれにしましても,それが駅前でいいのか,あるい野津田公園のような,そういう地元がいいのか。あるいは野津田には,自由民権の碑というのもあるわけでありますから,そういうものも含めて今後の問題として,お話を承ってまいりたいというふうに思います。

それから,第二番目のモニュメントですが,これは私は,原稿を書きますといつでも時間が足りませんので,きょうは原稿なしでやっておりまして,ちょっと言葉が過ぎました。一点だけ議長にお許しを願って取り消したいと思います。あのようなばかなモニュメントという言葉を使いましたが,あれは無意味という意味でございまして,ばかという二字だけは消してくださることをお許しを願いたいと思います。

 そこで,寺田市長に,あなたは,前からずっと私はおつき合い願いまして,文学的といいますか,非常にそういう広い視野をお持ちである。そこで,八王子市で,ある脚本家が「地鳴り」という劇をつくりましたね。これは,三多摩自由民権の創始の歩みを劇化したんです。私は,町田から八王子の市民会館に見に行きましたが,これは老若男女全市民の階層が参加できる一大郷土劇ですね。私は,天下の優秀な脚本家に,町田市が一千万ぐらい懸賞をかけて,そしてこの自由民権のシナリオを書いてもらって,やがて建てるところの市民会館の大舞台で毎年これを上演する。それには老若男女,そして子供もこれに参加できる。これがですね,寺田市長,私は町田の特有の文化として永久に流れていくんじゃないか。浜名湖がたこを揚げているから,うちも揚げようとか,そういうような安っぽいものでなくて,その点についてあなたのご所見があればお尋ねしたい。

◎市長(寺田和雄 君)

次に,いわゆるモニュメントの問題で,関連をして町田に独自なものを考えたらどうかというご質問であります。先ほど申し上げたように,自由民権は町田,あるいはこの三多摩地域の大変なユニークな,あるいは特徴的な活動でありますけれども,個人的な関係を考えると,これはまたさまざまな意見がありまして,それを具象化するということは大変難しいと思いますけれども,何か町田らしいものというふうに考えるとすれば,もちろん自由民権運動に限らずに,例えば相原では八木重吉という町田市の出身の詩人もいらっしゃいますし,さまざま町田特有の問題を考えていけば,あるいは物になることもあろうかと思いますけれども,これは,これまたこれからの宿題にさせていただきまして,今後検討させていただきたいというふうに思います。


(場外発言の紹介)
町田平和委員会HP掲示板への投稿より引用しました。

古宮さん、すごい!そして大賛成です。

今朝のしんぶん赤旗の読者の広場をみてびっくり。
町田市議の古宮杜司男さんが投書されているではありませんか。
題して『小泉首相には哲学がない!』
市議、無所属、市民派クラブ、85才とあります。

私は町田市議会でただ一人の戦中派で、当然、首相の靖国参拝には大賛成のはずだが
絶対反対だ。と切り出す。

「正義」の名で行われた戦争で「満州」で「満州国」を、華北、中支に侵略して「南
京政府」を作ったのは、「侵略」ではなかったのか。と続けられる。

世界はいま「テロ、テロ」と騒いでいるが、二十世紀前半の日本は国をあげて「テロ
国家」ではなかったか。われわれはこのことを深く反省しなければならない、とおっ
しゃる。
だから、
二十一世紀は、世界最大の武力を誇るアメリカの時代でもないし、その尻馬に乗る日
本であってはならない。A級戦犯を排除し無宗教の国民霊園をつくるべきだ。
テロは憎い。しかしなぜテロが横行するか。
その原因である貧困と不平等、地球資源の有限を知らぬ小泉首相には哲学は無い。
こんな人物を首相に選んだ日本人が悲しいし、世界に恥ずかしいし次代の若者に相済
まない。彼は即刻退陣すべし。
大略以上です。

全くおっしゃる通りだと思います。
古宮さんは町田平和委員会の平和新聞第二号に書いて下さいました。また、町田駅頭
の有事法制反対の宣伝行動でも、高齢にも拘わらず(なんてこといったら失礼ですよ
ね)マイクをとって訴えて下さる。
勇気が出ました。今日は日比谷野外音楽堂で集会です。がんばります。




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