衰退する農業

近郊農家の重要性が増したのは,1960年代に入ってからだった.町田市では1955年には米の収穫高も戦前の水準を越え,戦後のピークを迎えた.また,野菜類の生産も高まり,いちご,清浄野菜,しいたけ,やまいもなど換金作物の栽培も順調に伸び,乳牛も1961年には1,016頭と三多摩では第2位,養鶏も10万羽を突破したのは1964年であった.

こうして,専業農家の減少は確実にみられ,町田市では1958年1,414戸あったものが,1969年には441戸となり,総人口の10%となっていった.多摩の一大変貌は農民が土地から追われ始めたときから起こるのである.
多摩川誌より






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