紹介『佐伯宗義と自民党』

紹介『佐伯宗義と自民党』 その(1)

『戦争責任者であった岸氏が党首や総理になることは、国民の健忘症を助長するもの』

元自民党の国会議員の佐伯宗義氏が述べている。
こうした考えが自民党代議士から発せられていたわけで、
改憲論議盛んな折、紹介に値するだろう。

佐伯宗義と自民党
玉生 孝久 編著 日本ジャーナル出版 版
1982年 発行より

 昭和二十二年に衆院議院選挙で初当選した佐伯宗義氏は、富山の出身。
のち、三木派に所属した。
 
 佐伯はいう。

「旧憲法の独裁思想につちかわれた人たちの復活は、占領政策終了後、独立国家となっても国民が旧憲法、旧慣習に郷愁を感じていた間隙に乗ずることになり、千載の悔いを残すことになったと言わなければなりません。わが国が再び旧轍をふむ兆しはこの時に始まったと考えられます。」

 --つまり、パージされた戦争責任者の復活を、「千載の悔いを残す」「わが国が再び旧轍をふむ兆しはこの時に始まった」とまで言い切っているのだ。

 玉生(同じく富山出身の代議士。東京タイムズの政治部長の本沢二郎氏が執筆したもよう)氏が書く。

「佐伯は昭和三十(1955)年の保守合同に反対している。
日本の政治が民主化の方向へと根付いてきたのが、合同によって針が明治へと逆戻りすることを懸念したからと思われる。
具体的には戦犯となった岸信介(元首相)らの復活に歯ぎしりしている。。。」

 「現に佐伯は右の発言のおり、『なぜなら戦争責任者であった岸氏が党首や総理になることは、国民の健忘症を助長するものであり』とも述べている。戦争への体制には一貫して手厳しい姿勢を貫いている。」

 「中央集権政治、独裁政治は民主政治とは徹底的に対立する政治理念である。それは佐伯が常に批判してやまなかったところで、旧憲法ぎらいの唯一最大の根拠といえようか。」

 「君主は固有の機能として、国権を自由自在、なすがままに行使できるのであり、しかも他の機関の拘束を受けることはない。政府は、単なる補助機関にすぎないのだ。こうした社会が、かれこれ三十五年前にこの日本に存在していたとは驚くべき事実であろう。
 とはいえ、明治人(明治27年生まれ)の佐伯が、明治憲法下でその非を知悉していたことは、それも少なくとも大学教育を受けていないことを念頭に入れると、一驚に値しよう。」
  ---編著者の佐伯に対する評価である。

 さらに、続ける。
 「旧憲法こそ軍事独裁国家を生み、それは必然的に戦争へと突入してゆく。哀れむべきは一般国民なのであり、『こうした愚は二度としてはならない』と、佐伯は叫び続けてきたのだ。」

 「日本国憲法はどうか。昭和二十年七月二十六日、米英ソ三国によるポツダム宣言によって、日本は軍国主義を駆逐することを約束させられた。軍事、兵器で一国の安全を保つことの愚が完ぺきに否定されたのである。
 これは同時に、日本が民主国家として再生してゆく過程でもあった。
 国民はこれを喜んで迎え入れた。
 新憲法はしたがって天皇主権を葬って国民主権を原理とした。
 必然的に個の尊厳が国家の基本法(憲法)に骨格として招き入れられたのである。
 個の尊厳は、活力を国民に与える。平和で繁栄ある社会が約束される。
 佐伯は、この信念を貫いた。だからこそ、これが無視される動きがあれば、自ら体当たりして挑戦したのだ。」


紹介『佐伯宗義と自民党』 その(2)
”国家と地方は共存の関係にある”
”現行の民主憲法は遅すぎたくらいなのだ。”


元自民党の国会議員の佐伯宗義氏の考えを同僚の玉生孝久議員が紹介している。
改憲論議盛んな折、紹介に値するだろう。

佐伯宗義と自民党
玉生 孝久 編著 日本ジャーナル出版 版
1982年 発行より

「憲法を開いてほしい。
 第八章に地上自治の規定がある。
 明治憲法は、団体自治を認めてはいたものの、憲法全体を流れる全体主義的な性格がモロに出ており、住民に自治の精神など期待すべくもなかった。

 「中央への反発を佐伯をして脈打たせていたのは、相次ぐ中央の地方に対する横暴を知っていたからであろう。そこに民主主義の危機、いずれまたもと来た道へと突っ走る不安に警鐘を乱打した理由がある。」

 「日本国憲法は外国からの押し付けである。だからよろしくない」とする意見が、国内の一部に見受けられる。果たしてそうだろうか。」

 「保守党の良心としての佐伯哲学からすれば、
現行の民主憲法は遅すぎたくらいなのだ。
『明治このかた百年、国民の自主独立の創造性が封鎖されてきた』(立山連峰通貫と地方自治の確立』と喝破している佐伯の言い分は、
リベラリストの面目を躍如させるのに、十分ではないか」

 「あるいは岸政権の誕生である。戦犯人が政権に着くことの意味を佐伯は心底、心配していたと思われる。」

***********
首都の責任者が「命がけで憲法を破る」と豪語して恥じない昨今である。
都議戦の自民党ポスターは「中央集権の打破」を掲げているのもある。
そういえば以前、「偏差値教育の打破」を唱えた自民党ポスターもあった。

いくら「中央集権の打破」を唱え、「夜中に副知事と涙を流しつつ」大物ブリを誇っても、
佐伯の言う「国民の自主独立の創造性」を培うこととは無縁だろう。むしろ、介護と言い、福祉と言い、地方自治と言い、改めてまたそれを封鎖することが、本当のねらいなのではないか。

戦闘体験者が自民党に少なくなったのは理解できる。だが、日中貿易が日米貿易を上回ってきた今日、親中派が減り、明文改憲派が増えたのはなぜなのか、知りたいものだ。
 そして、民主党の中に自民党以上の右翼が根を下ろしている理由も。


紹介『佐伯宗義と自民党』その(3)”餌食を求めて咆吼する労働付加価値生産国”


元自民党の国会議員の佐伯宗義氏の考えを、同僚の玉生孝久議員が紹介している。
改憲論議盛んな折、紹介に値するだろう。

佐伯宗義と自民党
玉生 孝久 編著 日本ジャーナル出版 版
1982年 発行より

 「自民党は本来的には、動物に例をとるとライオンでなしにゾウのはずである。
「怖さがない」ということでもある。ここに国民の信頼が他党に比して圧待っている。
 しかし、かりそめにもライオンを演出し始めると、国民の眼は厳しくなろう。昨今の極端な右傾化は注意を必要としよう。」

 同書の中でジャーナリストの茅野治朗氏が「裸の自民党」と題して書いている。

 23年前の警告だが、ライオン宰相の登場など、ぴたりと当った予言のようだ。
もちろん、「国民の眼は厳しくなろう」を事実とするのは、今後の努力次第だ。

 最後の「資料編」には、佐伯の著書からの抜粋がある。

「立山連峰貫通と地方自治の確立」より

---餌食を求めて咆吼する労働付加価値生産国

 (輸入依存で、「外国資源に国内労働を付加して、その輸出を他国に依存する大国---かくのごとく世界依存の国民生活を営むことを、世界は果たして、黙視するであろうか。
 ここに、第三次世界大戦の火付け役となりかねない姿が垣間見られるのである。

 。。。アジアにおいては最強の軍備をもち、質的に見ると、世界第三位の潜在的軍備国と言うことであり、一年を要せずして、世界に挑む戦備を整えることが可能であり、
 この物質優位の裏には、民族の生存権を刃をもって大陸に求めることを天の命なりとした山県有朋以来の生命線思想、
 これを拡大した八紘一宇の精神が、
 今日なお、脈々として生きていないとは言えない
わが国の現状である。」

 「私には、真珠湾を空襲した歴史の足音が、そこここに、かすかに聞こえてくるように思えてならない。。」
 
 なぜなら、

 「三年八ヶ月に渡る太平洋戦争当時の石油消費量は、わずかに一千万トンであるのにたいし、
1971年の消費量は2億トンを凌駕せんとしている。」
 この現有の輸入(運送)の護衛には、

 「イギリスの現有空軍力並びに海軍力の2倍を要するとみられ(る)」

 「これをもってしても、軍事大国でないとして、世界の信を勝ち得られるであろうか」

 「このようにみてくると、この、あたかも13才の少年に鎧兜をまとわせたと等しい奇形児が、
東洋の孤島にあって、世界資源と言う餌食を求めて咆吼する声は、
世界人類に戦慄を与えないと言い切れるであろうか。」

**********
 この著書は1971年に書かれている。
 高度成長が終焉を迎える直前。それから30年あまりの今日、
石油資源の宝庫、中東に自衛隊が派兵され、インド洋では米英の軍艦に給油を続け、タンカー航路の海賊出没への対策が強調されている。

 すべての論点に先見の明があった、というつもりはない。しかし、かつての朝鮮植民地への彼の論及は別格だと思う。

紹介『佐伯宗義と自民党』その(4)
”「大同江の水の乾かぬ限り、日本は亡ぶであろう」


元自民党の国会議員の佐伯宗義氏がこうした見解をのべておられる。
不調に終わるべくして終わった日韓首脳会談を見るにつけ、また改憲論議盛んな折、紹介に値するだろう。

佐伯宗義と自民党
玉生 孝久 編著 日本ジャーナル出版 版
1982年 発行より

「私は大正のはじめ、朝鮮の古都平壌のほとりに立って、
(大同江畔を眺めて)『大同江の水は韓国民の涙の結晶である。この水の乾かぬ限り、日本は亡ぶであろう』と詠じ、この不幸な予言は的中したが、私には戦後またふたたび、わが国がもと来た道を歩むとの予感が、かき消すことのできない客観性を持って迫ってくるのである。」

*******
最近六月二十日の日韓首脳会談で盧武鉉大統領はこう発言したという。

 靖国神社について「過去の戦争を誇り、栄光のように展示していると聞いている」。

 同大統領は続けて、「(靖国神社は)過去の戦争と戦争英雄(戦犯)を美化し、これを学んだ国が隣りにあり、こうした国が膨大な経済力と軍事力を持っている。(韓国など)その近隣国が過去に何度も苦しめられたことがあるならば、国民は未来を不安に思わざるを得ない」と強い懸念を示した。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-06-21/01_02_1.html

この発言から、
元自民党の国会議員の佐伯宗義氏の
。。。「アジアにおいては最強の軍備をもち、質的に見ると、世界第三位の潜在的軍備国と言うことであり、一年を要せずして、世界に挑む戦備を整えることが可能であり」、

という考えが想起される。(紹介『佐伯宗義と自民党』その(3)で紹介した)

******
同氏の「立山連峰貫通と地方自治の確立」より

 「大政翼賛会とは、天皇を戦争の主人公にして、国民がこれに助太刀をするという体制であって、天皇の命に服従する限り、すべての戦争責任は天皇にあるのは言うまでもない。。。。
 しかし、『国家は人にあらず、国家を動かすは人にあり』として、厳として天皇を救ったのは、日本の”忠臣”にあらず、”敵”の法王であったという、歴史を国民の肝に銘じ、忘れてはならないのである。」

 さらに、「日韓条約の経済援助と韓国に残した爪痕」の章では、 
無償三億ドルについて、両国の受け止め方が
「出発点から背馳している以上、国交の正常化といい、経済援助と言っても、両国間のわだかまりは半永久的に解消されないだろう」

 「かかるヒモつき援助が、わが国の権力崇拝の国民性には通用しても、
果たして日本の国家権力に敏感な新生韓国国民に通用するだろうか」

 続けて言う。
 
 「われわれがいま静かにわが国の歴史を反省してみると、わが国の存亡興廃を決したものは、固有の領土を忘れて、他国、特に大陸の一角たる朝鮮に野心を抱いたことにあることが明らかになる。」

 「この間、韓国民の反日感情、抵抗は始めから一貫して受け継がれ、強力な弾圧にも拘らず、時には激しい勢いで燃え上がったのである。
 特に関東大震災の殺害事件、戦時中の強制連行など、
その犯した罪は誠に重大であって、これを単なる経済協力、それもヒモつきの協力で拭いうると考えるのは、被害者の心情を知ろうとしない思い上がりとしか思えないのである。

 それだけではない。朝鮮軍司令官をおいて総督を凌がしめ、韓国創始の地に伊勢大廟を建て、首都京城に神武、明治両帝を主神とする朝鮮宮を造り、民族語の使用を禁じ日本民制をとらせて、民族固有の使源を抹殺使用とまでしたのである。」

 そして、前述の大同江畔での言葉を繰り返す。

 「私はかつて朝鮮の古都平壌のほとりに開国祖宗の箕子廟に立って大同江畔を眺めて、
『大同江の水は韓国民の涙の結晶である。この水の乾かぬ限り、日本は亡ぶであろう』と叫んだことがある。不幸にしてこの私の予言に誤りはなかった。」

 「韓国との関係の健全化が今回の(日韓)条約締結によって、逆に困難の度を加えるであろうことを危惧せずにはいられない。」

******

 相当部分が、至言である、と思わずにはいられない。


紹介『佐伯宗義と自民党』その(5)”
国を破滅に導いた癌的疾患"


”旧憲法は命令服従の下に、独裁専制の国家を至上とするファシズムに通じ、これが、国を破滅に導いた癌的疾患だった”

元自民党の国会議員の佐伯宗義氏がこうした見解をのべておられる。
改憲論議盛んな折、紹介に値するだろう。

佐伯宗義と自民党
玉生 孝久 編著 日本ジャーナル出版 版
1982年 発行より

<自治体の平和力>

http://www.kanaloco.jp/news/serial/archives/050319.html

二月下旬、両市の市民らでつくる「キャンプ座間への米陸軍第一軍団の移駐を歓迎しない会」などが主催した「人間の鎖」。。その中には、四十年以上にわたり厚木基地の騒音問題や墜落事故の危険と闘ってきた真屋求・第三次厚木爆音訴訟原告団長(78)もいた。「基地はいらない。そのことを訴えるために来た」と語った。「基地被害解消について、政府はやれることさえやってこなかった。今、自治体の平和力が頼みの綱だ」。地域が立ち上がることの意義を訴えた。
(2005/03/19)
米軍再編を追う「安保の現場から 」〜第三部政治のはざま編(10)〜
神奈川県知事も、厚木基地の機能縮小と座間キャンプの強化とをパッケージで考えられないかと聞かれて、「基地の整理・縮小は県是だ」と回答した。

http://www.kanalog.jp/news/local/category_20.html

政府が外交機能を喪失し、国益に反する努力を重ねているとき、一部の野党や自治体が、市民の声に支えられながらそれに一部代わるチャージをかけている。

佐伯の提唱は、こうした流れと合致するものだろう。

佐伯はいう。
「あいつぐ矛盾の根源は新旧憲法の粉◆(サンズイ+肴)
 
 「私はこれらのあらゆる矛盾は、個々の矛盾に共通点があり、そこからすべての矛盾が発生している、とみるものであり、その矛盾を発生させる共通の根源を、国民活動を規制する国の基本法である憲法に求めんとするものである。

 敗戦によって与えられた国家最高の掟である民主憲法が、まだ身に着かぬうちに、占領政策が終結し、ここに民主主義の指導者なき民主憲法は、”観念的頭脳”にとどまり、多年培われた旧憲法の国民習性が”実践的手足”となっているという奇形的状態から発生していると断定できるのである。」

 <工場に憲法はない。と言われ、サービス残業がまかり通る日本。奇形的状態が存在するのは間違いないとしても、「多年培われた旧憲法の国民習性が”実践的手足”となっている」という認識が妥当かどうか、はさておく。>  続けて、佐伯は言う。

「民主憲法の本旨と自治の尊厳」

 「占領政策終了後制定された諸法律諸規程は、そのことごとくが民主憲法を貫く基本理念と異なり、旧憲法の指導理念によって塗り替えられ、ここに民主憲法は完全に空文化していると断定される。

 「そもそも、民主憲法は主権が国民に発し、自らが自らを治める政治の基本法であって、国民に自主独立の精神なくしては成り立たない政治理念に立脚している」

 「憲法12条は『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。』と明示され、ここに人類の基底社会としての自治社会は、国家統治の母体を成し、国家の統治権力の侵し得ない固有の権威を保有している。この自治固有の権益を尊重するかどうかが、民主憲法成否の重要なカギとなるのである。
 
 しかし、わが国のように個(自治)を滅却して全体に奉仕することを国民道徳としているところでは、個は全体と異なる固有の性格を持っているとの民主主義の本旨は理解されず、このために、憲法大92条(地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。)の地方自治の本旨に基づき、独自の財政自主権と住民活動の可否権を与え、首長と議会を選び、国家公務員と対等な地方公務員を有する自主独立の機関であるとし、憲法95条(一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。)において、国会といえどもこの自治固有の権利は侵し得ないと定め、自治の尊厳を宣言している民主憲法の基本原則は完全に封鎖され、空文化しているのである。

 すなわち、民主憲法とは縦の系統に属する旧憲法の国民の血肉と化している感情、常識、習慣、慣行にはなじまない、横の系列に属する西欧的なものであって、これが旧憲法によって塗り替えられ、空虚と化しているところに、あらゆる矛盾発声の根源があると断じたのである。

<新旧憲法の指導理念>

 「民主憲法(民主主義)の指導理念は、個人の自覚と責任を原理とするのに対し、旧憲法(独裁主義)は政府が何を考え、何を指示するかを待つ、上からの指導原理によって、己の創意と責任を空しくして、行政の椅子に依存する指導原理に立っているから、縦の従属的命令系統に属するのである。

 これに反し、民主憲法は、自らが考え、自らが責任を持ち、個々の国民がおのおのその職分に応じて、その能力を共同して発揮するものであるから、相互に責任を持つ相対的な横の系統に属する。

 ここに民主憲法は、人類が台糖の条件をもって構成する議会政治を生むのに反し、旧憲法は命令服従の下に、独裁専制の国家を至上とするファシズムに通じ、これが、国を破滅に導いた癌的疾患だったのである。

紹介『佐伯宗義と自民党』その(6)”
旧憲法の社会制度に復帰させることは許されない”


元自民党の国会議員の佐伯宗義氏がこうした見解をのべておられる。
改憲論議盛んな折、紹介に値するだろう。

佐伯宗義と自民党
玉生 孝久 編著 日本ジャーナル出版 版
1982年 発行より

<不可能を可能とする国民習性の矯正を>

 「このように、旧憲法の国民習性は、民族多年の慣習によって培われたものであるから、この縦の国民習性を横の民主主義に変革するには、自然の時間的成長が要請されるのである。ここに、わが国において民主主義は育たず、しかも、民主主義に変革するための摩擦すなわち矛盾が発生することは必然であり、したがって、わが国では民主主義は、到底、国情に合致しない不可能なことだと言われ、むしろ旧憲法を政治・憲法の指導原理としなければ、国は治まらない、と多くの識者も主張する」。

 ---そうした主張は、憲法のみならず、教育基本法に関しても、法改定の日程が具体化するところまで来ている。

 しかし、と佐伯は続ける。

「しかし、私はこのことに関する限り断固としてこれを退けなければならない。なぜならば、いかに不可能なことであっても、これを可能にしなければわが国は再び亡国の轍を踏むからである。
 そのためには、長年月を要する国民習性の改革を時間的に跳躍しうる、不可能を可能とする道を考え出さなければならない。これが、日本国民の生きうる道だからである。

 最後の文は、こう締めくくられている。
 
 「なるほど民族の身についた習性を発揮させることが民族の発展と考えられるが、この民族の習性をそのまま発揮させるには、あたかも動物の(今なら、定めしライオンの?ーー引用者)本能を制御する作用がなければ、その本能がますますむき出しになるのと同様に、人間性を没却し、動物本能に復帰することになるのである。
 たとえば、猫は魚を取る本能をもっているが、猫が人間と共存するためには、この猫の本能を抑制しなければならず、また、猫の本能を抑制するのが人間の本能である。
 いまや、日本は世界の人類と共に平等に散在している世界の資源を公平に利用しなければ生存し得ない。
 この時にあたり、猫が猫の好む魚を独占することが許されないのと同様に、わが国民習性がいかに縦の系列に属するとはいえ、横の系列に共存する人類平和の民主主義を、旧憲法の社会制度に復帰させることは許されないのである。
(以上、引用でした)

 以上、大正デモクラシーの影響を多分に受けたと思われる、自民党代議士の極めてユニークな主張をかいつまんで紹介した。

 というのも、最近、九条の会の呼びかけ人の一人、元三木首相の夫人がこう語っているのを伺ったからである。

 「なんであんたが自民党にいるのよ、という私の問いに、僕(おれ?)がいなくなったら、憲法をかえられちゃうからだよ、と元首相は答えた」と。

 その真否に触れる材料はない。だが三木派には、少数と言えど、佐伯氏のような人物がいた。もちろん、彼のような政治家は今日皆無に近いだろう。

 わざと抵抗勢力を作り上げ、自民党をぶっつぶすと「公約」した首相の下、郵政法案なるものに狂奔している政権党が、政教一致の政党にかろうじて支えられている時代だ。

 だがその主張は、憲法に対する国民の支持の強さを反映していること(いた、というべきか)、戦後の再編成で長期的視野の必要性を認めていたこと、最近の安っぽい(そして危険極まりない)「官から民へ」や「地方の時代」のスローガンへの警鐘が盛られたものだと思う。

 「縦の系列」と「横の系列」についての言及も興味深い。

 改憲論議盛んな折、しかも「猫の本能」が表面化しつつあると思われる時、十分に紹介に値すると考え、打ち込んだ次第。(了)







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