ポツダム宣言受諾に関連して(1)

ポツダム宣言受諾の直後に、こんな動きがあった、という。
藤樫準二(毎日新聞記者)著
『天皇とともに五十年』1977より

外電で米軍司令部から進駐について打ち合わせをしたく、
日本の「ハイエスト・コマンダー」がマニラへ来るように、と要求(され)、
宮内省幹部らは(「ハイエスト・コマンダー」とはーー引用者)"大元帥”ではないかと
一時愕然とした。
幸い軍の責任者(河辺参謀総長)でよいとわかって
ホッと胸を撫でおろしたという一幕もあった。

(以上182ページより)
ホッと胸を撫でおろしたのは、周辺だけだっただろうか。

同書には、「内奏」に関連して
戦後の外遊時に、外務大臣にたいし、
「ここに滞在中は外相として自由行動をとるがよい」と三日間のお暇を
与えられたという秘話もある。
という話もある。
所はパリで、「非公式滞在中だったので」
福田外相に対しこういう指示が出た、のだそうだ。




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