基地周辺7市に発生した墜落事故--43年間に207件

町田市内及び基地周辺7市に発生した墜落事故は
昭和27年から43年間に207件

町田市議会議事録より
(1)1995=平成7年9月定例会9月18日

市議:室谷友英
戦後から今日に至るまで、町田市内及び基地周辺7市に発生した墜落事故について、ご紹介をお願いいたします。

<墜落事故が70件、それから不時着が45件、あと落下物の事故が54件、その他ということで38件、合わせて昭和27年から現在までの43年間で207件>

市長(寺田和雄)
この町田市の中で、どういう事故が今までにあったかということですが、これはご存じの方もいらっしゃると思いますが、昭和39年の4月5日に現在の原町田三丁目になりましょうか、そこの十字路の近くに米軍機が墜落をいたしまして、死者4名、重軽傷者32人という大惨事を起こしまして、あの辺一帯が吹っ飛んでしまった、こういう状況であります。当時の市の関係者も、懸命にもう町田市の上空を飛ばないでくれという要請を行ったことが記されておりますが、そういう被害が町田市にあったということでありまして、そのほか、周辺には横浜市を初め何カ所かで墜落事故が至近のところで起きております。これらについては、また、補足でご説明をさせていただきたいと思います。

助役(牧田秀也) 航空機騒音の関係でございますけれども、そこで戦後から現在までの発生をした事故の件数、また、その内容というようなお尋ねでございましたが、
昭和27年からことしの7月までの間でございますけれども、
墜落事故が70件、
それから不時着が45件、
あと落下物の事故が54件、
その他、これは飛行場におけるオーバーラン、また、飛行機のタイヤのパンクや飛行場における脱輪事故等もございますが、また一時期、衝撃波という事故がございましたけれども、バーンという大変大きな音がございましたが、それらがその他ということで38件、
合わせて昭和27年から現在までの
43年間で207件というようになっております。

(室谷友英)
それから、墜落事故ですけれども、原町田でも落ちました。そして、同じ時期に大和の基地の近くでも墜落しています。それから、資料を調べていきましたら、町田の今のリサイクル文化センターのあたり、あそこにも昭和20年代の後半から30年の前半、合併前、一機の米軍機が墜落したということが地元の方々から語られるようになりました。

ですから、横浜の墜落事故という大きなものもありましたけれども、町田市には戦後になってから二つの墜落事故があった。

市長(寺田和雄)
それから、墜落事故で、何かリサイクル文化センターのそばに落ちたことがあるようだということですが、寡聞にしてそういうお話は聞いておりません。今後も調べてみたいと思いますが、恐らくこの中にも、あの辺の方々がいらっしゃいますけれども、多分ないのではないかなというふうに思います。──なんかいろんな説があるようでありますから、これもまた、改めて調べてみたいと思います。
煙を吐きながら落ちていく機を - 町田のたぬちゃん

2008/08/07 (Thu) 18:47:20

44年前の4月5日、小学校2年生だった人が、草野球をしている最中に煙を吐きながら落ちていく機を見つけて、現場の方に走っていった。

墜落(4次30分過ぎ)の数分後だったが、
天満宮の踏み切りは遮断され、米軍のMPが立ち入り規制をしていた。(もっとも、救助の為大勢の人が現場に入っていたため、最近の沖縄のような規制はなかった)

以上のお話を伺いました。

墜落シーンを見ていたものはいなかった、と市が事故の翌年出した冊子でのべていますが、少なくとも
その直前の、煙を吐きながら落ちていく機を見た
人はいたわけです。





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