4月6日付赤旗記事より



赤旗1964年4月6日付
米軍機、市中に突っ込む
米兵は落下傘でにげる
死者3、重軽傷12名以上
町田市

米海軍厚木基地所属のF8U艦載ジェット戦闘機一機は五日午後四時半すぎ東京都町田市原町田2丁目の繁華街のまんなかにある吉田精肉店に墜落、大音響とともに爆発した。
このため同日午後六時現在、Yさん(28=記事は実名)など三名が死亡、重軽傷12名を出しさらに被害がふえる見込みであり、米軍機墜落事故では戦後最大の被害となっている。
乗員の米兵はパラシュートで脱出し無事だった。
墜落した肉屋を含む四戸が全壊し、三戸または四戸が半壊したほか、五百平方bにおよび深さ六bの大きな穴があいた。
付近通行中のバスの後部は爆風で破損した。
付近の人(の話で)は「ものすごい音がして落ちた。表に出たら、反対側の屋根の上に人が吹き上げられていた」と語っていた。

4月10日付
新婦人の会が惨状を調査
町田市の米軍機墜落事故
基地撤去の決意新たに
抗議集会にも参加
米軍、政府に抗議
東京都町田市の繁華街に米軍機が墜落し、三十三人の死傷者を出した事件は、日本人民の憤激をよび、民主団体の現地調査団がつぎつぎに編成されて町田市を訪れているが、新日本婦人の会を中心とした婦人たちも八日、現地をおとずれ、米軍、池田内閣等に抗議するとともに、米軍基地撤去、遺家族被害者への完全補償などの運動をおこすことになった。

八日朝、石井あや子代表委員、小笠原貞子事務局長をはじめ、東京都の新婦人会員、福岡県大牟田支部の永江美由紀さん、東京母親連絡会の代表をふくむ十人は、新婦人の会町田支部の婦人たち約二十人に迎えられ、雨の中を米軍機墜落現場にむかい、付近の人たちから当時の模様を聞いた。
直径十五b、深さ六bの大穴があいた墜落地点は、すでに土砂がほうり込まれて自衛隊の手で地ならしされていたが、爆風で跡かたもなくペシャンコになった家、六十度に傾斜したまま廃屋となった家などに、当時の惨状をまざまざと想起させていた。

調査団一行にたいしある中年の男の人は「ジェット機がいつも頭の上を通っていたが、まさか自分の上に落ちてくるとは思わなかった。こうした事態を他人事と思わず真剣に考えて欲しい」と悲痛な面持ちで訴えていた。

また、墜落現場から道一つへだてた永井たか子さんの家は、爆風で家が傾き、まだ室内は土砂で足の踏み場もない。三人のこどもは親せきにそれぞれ疎開させているが、そのなかで永井さんは
「いのちが助かったとはいってもこのありさまです。なくなった家の人たちとは、ふだんから懇意にしていますし、なんといって慰めればいいのか。アメリカ兵はパラシュートで自分だけさっさと逃げてしまった。考えれば、ほんとにアメリカは憎いですよ」と、ためらいがちだが、胸のなかの怒りを抑えられずに率直に語っていた。

このあと一行は、午後二時から高ヶ坂生活改善センターでひらかれた新婦人の会町田支部主催の「米軍機墜落抗議集会」に参加、今後も平民共闘連絡会議とともに「軍事基地撤去までたたかう」「遺家族、被災者への完全な補償を要求する」「再び米軍機を町田市の上空を通すな」の三点を中心に、町の人びとに、独立、平和、生活を守る活動をひろげていくことをきめた。
地元の会員は「町の人たちはみな、密集した町の上に機体を落とした米軍の行為は許せない、といっている。基地があるかぎり、この不安は去らないのだから、住宅自治会などでもぜひ反対を表明するように積極的に運動をおこそう」と発言し、参加者全員がたたかいの決意をかためた。

 集会は最後に、在日米軍厚木基地司令官、池田首相、東都知事、町田市長、市議会への決議と要請を採択したあと、すぐに市役所で助役を通じ市長に決議文を手渡した。





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