「アイアム・マチダシティ・キャプテン!」

「絹の道 原町田」(森山兼光著 1983年)に、
原町田への米軍機墜直後、MPが非常線を敷いた、とある。

原町田2丁目1番の吉田肉店、中川洋裁店など跡形もなく破壊された
(中略)
付近の人々や消防団の手で怪我人が救出され、車で病院へ運ばれる。
車といっても救急車や乗用車ではない、ライトバンや小型トラックの後部に寝かせて一刻も早くということだ。(中略)

間もなく座間の米軍基地から、サイレンもけたたましく「MP」が到着。
直ちにカービン銃をかまえ、要所をかためての非常線である。

 そうなると事故現場へ入ろうとして近づくと、誰であろうが「STOP!」で、
近親縁者ですら事情を話そうにも言葉が通じず、ただただ「NO!」のため、おろおろするばかりだった。

現場に駆けつけた青山藤吉郎市長でさえも
「ストップ・ノウノウ・ゲラウェイ!」と制止されたそうで、
「アイアム・マチダシティ・キャプテン!」
とつっぱり、やっと通ることができたという。

更にその後も続々とサイレンを響かせて来る応援のためのパトカー、消防車や報道関係の車が集まり終夜騒然とした。
(以下、略)

現場における米軍の規制は、その後の墜落事件に比べ、あまりきびしくなかった、という記述がネット上では多い。

確かに、人命救出第一であり、現場に多数の市民がいたため、そうしたことが言えるだろう。

しかし、青山藤吉郎市長でさえも制止され、
「アイアム・マチダシティ・キャプテン!」
とつっぱり、やっと通ることができた

という事実は、米軍は少なくともマニュアルどおりやろうとしていたことを物語っているのではないだろうか。

丹沢上空からの「50分遅れ」通報にたいし、
厚木基地はヘリをとばし、座間基地からは
サイレンもけたたましく「MP」が到着。
直ちにカービン銃をかまえた、のだから。





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